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OffTime1月号 「私の休日」久留米大学病院 院長 坂元照夫先生

| 私 の 休 日 | Top Interview

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久留米大学病院
坂元照夫院長
揺るぎなく、鮮やかな一瞬に、
心ふるえてシャッターを切る。
学会へ向かう飛行機の機内で、カメラを手にされる坂本先生。
高度救命救急医療をリードする「久留米大学病院」(久留米市旭町)の病院長として、多忙な日々を支える<Offの過ごし方>についてお話を伺いました。

暗室の記憶とカメラ

小学生の頃、叔父が暗室を持っていて、小さなカメラで撮った写真を見よう見まねで焼き付けしたのが写真との出会いです。
学生時代は、中・高・大学とバレーボールに明け暮れ、再びカメラを手にしたのは医者になってから。
風景画が好きで、花や故郷・日田の雪景色を撮っていました。
そのうち、学会へ行くことが増えてきて、あるとき移動中の飛行機の窓に何気なく眼をやると、雲間に富士山がみえたんです。
あまりの美しさに心を打たれて、それから、飛行機に乗るたびにカメラを持ち込むようになりました。

空の上から望む富士

羽田行では、必ず左の窓側に乗るんです。
駿河湾がみえてくるのを合図に外をのぞくと、いつも予想を越える富士山が見えます。
帰りも決まって左の窓側に座り、窓にデジカメを押し付けて撮る(笑)。
富士山は季節ごとに、また、朝と夕方でも見え方が違うんですよ。
一度、学会の帰りに誘われて五合目まで行ったことがありますが、やはり「富士は遠くにありて思うもの」で、空の上からの姿が断然好きですね。

夢のまた夢はゴルフ

とはいえ、今はオフといえば体を休めるのが最優先です。
かみさんには「学会で全国あちこち行っているでしょう」といわれますが、日帰りばかりだし、上手に時間を作って観光できるタチでもありません。
時間がとれるなら、気の合う仲間とゴルフをしたいですね。
気持ちがいいし、みんなで楽しく過ごすのが好きなんです。
ただし、寒い日や雨の日は誘いがあっても行きたくはありませんよね。
そこまでしてしなくてもいいじゃないかと思うからです(笑)。

医師という仕事に

私は4人兄弟の二男で、5歳の時に、妹が生まれて一ヶ月後に、母が産後の経過が悪く腹膜炎で手遅れといわれて亡くなりました。
そこで父が「これはいかん、身内から医者を出すしかない」といって、私は中学校から福岡へ。
親戚の家で勉強して久留米大へ入り、お世話になった先生の影響で、心臓外科医を志しました。
以来、救急一筋で28年です。
赴任当時は当直室に泊まり込みを続け、日田の自宅へは洗濯物を持って帰るくらいの生活でしたが、教授になってからは「さすがにまずいだろう」「泊めてあげない」といわれまして(笑)。
部屋を借りて、日田との二重生活となっています。
救命救急は、1、2年で離れる人も多いけれど、一度、共に力を尽くした仲間とは絆が強く、今でもみんなすごく仲がいいですよ。
00_mein
空上のカメラマン!
「左から2月、4月、11月の富士です。
一番右は、虹の輪の中に機体の影が映る、有名な『ブロッケン現象』です」
01_2月の富士
01_4月の富士
01_11月の富士
01_ブロッケン現象

03_サブ画像上

西医体で優勝2回、久留米大バレー部の黄金時代にて。
中・高・大と一緒の親友も共に!

04_サブ画像下_自宅前の山を望む

自宅前の山。
「雲と山のバランス、緑の色合い…故郷の景色には心がほどけるのを感じます」。

ふっと、笑顔ほころばせる坂本先生。
「ちなみに、来年2月に2日ほど、休みをもらおうと思っています。
息子が仕事で香港にいるので行ってみようと思っています。
かみさんには、日田で私の母の面倒を見てもらったり、隣保班の仕事をしてくれているので、時間を作ってあげたくて」。
細かすぎて判読できないほど、翌月も、翌々月もスケジュールがびっしりと詰まったデスクトップの画面を閉じ、颯爽と仕事に戻られる背中に感銘を抑えきれない取材陣でした。

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