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OffTime9月号 インタビュー てらにしこどもクリニック 院長 寺西 英人

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それぞれ奉仕する心を糧にして
地域の人々へ確かな医療を

地域に根ざした医療を通して
こどもたちに溢れる笑顔を

 小学生の頃に小児科医に憧れ、高校生の頃には医学部受験を固く決意し、岡山県の川崎医科大学に進学。尾内一信教授のもと「小児科講座」に入局し、九州大学病院では古賀友紀先生にお世話になり、その後川崎医科大学に戻って以来、何より川崎浩三先生(当時准教授)には厳しく指導され、公私共に世話になり、開業した今も自信のバックボーンとなっていて、感謝の気持ちでいっぱいだという。

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こどもたちに真心の診療をと熱心に語る寺西院長

塾での学習の合間のコロコロコミック、高校入学時から進路は医学部受験

生まれは広島県で、安田小学校に通い、その後中高一貫の私立修道中学、高校に進みました。小学生の頃は当時流行っていた”ミニ四駆”、収集癖があるせいか”ビックリマンチョコ”にも夢中でした(笑)。学習塾に通っていた勉強の合間に。”コロコロコミック”を読んでいたましたね。中学から卓球を始めましたが、高校入学時からの大学医学部受験準備に集中するため、高校の途中でやめました。けれど、地元愛なのか。現在みたいに強くはなかった”広島カープ”の試合観戦を中高時代は週2回は応援に行ってました。

幼少期の通院体験で小児科医に憧れる、祖父の援助で医学部受験に挑む

幼少期身体が弱く、小学校の同級生の母親が小児科、父親が整形外科のまさに地域に根ざしたクリニックにお世話になり、特に小児科の医師に憧れ、高校生の頃にその道を進もうと強く思いました。当時私の父は銀行員、母は専業主婦でしたが、私の医学部進学の意思を尊重してくれ、特に祖父が積極的に高額の資金援助をしてくれました。その祖父も91歳で亡くなり、十分な恩返し出来なかったことが心残りです。

岡山県倉敷市川崎医科大学入学、小児科尾内一信教授のもと川崎医科大学「小児科学講座」入局

岡山県倉敷市の川崎医科大学に入学し、卓球部に入り、6年間頑張りました。「西医体」ではなかなか戦績が上位には行けなかったのですが、温和しく粛々とめげずに続けました(笑)。そこで多くの退学の選手と交流を持てたのは私にとって大きな財産ですね。そして大学6年生の頃、医師国家試験の前でしたが進路を決める時、小児科の尾内一信教授に出会い、そのまま平成19年、川崎医科大学「小児科学講座」に入局することになります。

九州大学病院では古賀友紀先生、川崎浩三先生には厳しい指導を受ける

入局して2年目に、小児の血液がんを専門に研究しようと、川崎浩三准教授に指導を受けました。けれど、岡山は元々人口も少ないため症例も少なく、医師になって6年目に福岡市南区の九州がんセンターに1年間「造血幹細胞移植」の勉強に行きました。その後川崎医科大学院に戻り、平成27年九州大学病院小児科臨床助教として勤務し、古賀友紀先生にお世話になりました。医師になっていちばん厳しかったのは、川崎浩三先生でした。朝出勤するとデスクの上に担当患者さんに関する30部ほどの論文が置いてあり、仕事にかまけて眼を通さずにいると、治療への遅延を指摘され、改めて長い入院生活をされている患者さんに一日たりともムダな日があってはいけないのだと自覚しました。患者さんに対して常に真摯であれという川崎先生からの有難い訓戒ですね。何度か一緒に酒を呑むこともありましたが、いつもド緊張で芯から酔えませんでした(笑)。

令和2年「てらにしこどもクリニック」開業、地域の医療コミュニティの場を目指す

令和2年5月7日「てらにしこどもクリニック」を開業しました。大学病院で培った小児診療の経験を活かし、看護師として小児科、新生児科で勤務し、ベビーマッサージの資格を取得した妻(寺西景子)と共に、3人の子供を持つ親として、診療のみならず、育児や教育についてもアドバイスできたらと思っています。地域に根ざした、お母さん達のコミュニティの場を目指しています。

◆てらにしこどもクリニック

住  所/ 福岡市西区拾六町団地1-18
T E L/092-892-8118
院 長/寺西 英人
診療内容/小児科
診療時間/月〜水・金 8:30~12:00/14:00~18:30
     土 8:30~12:00/14:00〜16:00
休 診 日/木曜、日曜・祝日

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