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OffTime11月号 インタビュー MiRAI MEDICAL CLINIC 院長 熊澤 浩明

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ひとりひとりに寄り添って
患者さん第一のクリニックを

さまざまな症状にアプローチ
予防と健康を積極サポート

 勉強三昧の少年時代を経て、麻雀大好きの大学時代に眼にした外科医の谷口先生の仕事ぶりに感激。そこから熊澤青年の外科医人生が始まった。千鳥橋病院の古賀外科部長(当時)、那珂川病院の下川院長といった恩師に恵まれて、令和3年9月、素晴らしい出会いで「MiRAI MEDICAL CLINIC」を開院。約30年の医師キャリアで患者さんそれぞれの症状に最適のアプローチとケアを実践し、健康増進に対して積極的にサポートすると熊澤院長は力強く語った。

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病気を予防し、元気でいられるアンチエイジング診療をと熱く語る熊澤院長

生家が進学塾経営の環境、ひたすら勉強三昧の少年時代

生まれは高知市内です。新堀小学校から私立高知学芸中学、高校と中高一貫校に進みました。父親が進学塾を経営していた所為で、専ら勉強三昧(笑)。ホントは野球とかしたかったけど、親から”お前には勉強しかない”と(笑)。
 中学に進んで卓球部に入部しましたが、勉強との両立が出来ず、1年で退部しました。高校では帰宅部で、なにせ片道50分の自転車通学を続けていたので(笑)、粛々と塾通いの日々でしたね。

医師になろうとした動機は、祖父の死に対する病院への不信感と、医学部を結核で中退した父上の無念

実は小学5年生の時に祖父が75歳で亡くなった時に病院に駆けつけ、付き添っていた祖母に何で死んだのかと訊くと、”腰は悪かったけど心臓は強かったのに、何でかねぇ”と、医師から死因を告げられないことに子供心に不信感を持ったことがあり、また父が元来医師志望で徳島大学医学部に入学したのですが、2年生の時に結核を患い中退し、2年療養し復学は無理と断念。母からは”父の無念を晴らせ”との圧力(笑)。
 秀才の父はちなみに中学2年の時に飛び級で海軍兵学校に入り、特攻隊として出撃する半年前に終戦になり長崎の大村から原爆の落ちる前日に広島を通り高知に帰って来たのですが、その時米兵に胸を撃たれたエピソードが私の中に残っていますね。

宮崎医科大学では麻雀三昧、谷口先生の真摯な仕事ぶりで外科医へ

宮崎医科大学(現:宮崎大学医学部)に入学し、それまでの勉強三昧の反動でしょうか、麻雀三昧の日々(笑)。6年生の時に大学祭の麻雀大会で優勝しました。 ある時、肝臓の末期ガンの患者さんを前にして我々研修医に教授が”君たちにこの患者さんの治療法が分るか”と問うたのに患者さんを慮って応えられないでいると、その教授が一言”インポッシブル”と。ショックで愕然としました。そんな外科研修の中、黙々と淡々と仕事をされていた谷口先生という外科医がいて、その先生の患者さんへの的確な処置と姿勢を目の当たりにして”外科医ってカッコイイナ”と思い、改めて本格的に外科医になろうと決心しました。
 そんな折、友達からの勧めもあり、5年生の時の夏休みに博多区の千鳥橋病院に研修でお世話になりました。大学では感じなかった患者さん第一の医療、貧富の差なく手厚い対応ぶりに感動し、そこで勤務する医師の人間性に感銘を受けました。

医局に入らず千鳥橋病院に入職、古賀外科部長そして那珂川病院の下川院長は公私共の恩人

卒業して医局に入らず、1992年4月、千鳥橋病院に入職しました。ここで17年間、患者さん主体の医療を徹底的に叩き込まれました。私が29歳の時、1995年ですが、結婚をすることになり、無理を言って当時外科部長、現在は開業されていますが、古賀信一先生に仲人をしていただきました。奥様が出産されて間もない大切な時期にもかかわらず、よく引き受けて下さったと未だに感謝しています、古賀先生はやさしく手術指導をしていただくなど、文字通り命の恩人、公私共にお世話になりました。

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笑顔あふれるハートフルスタッフ

◆MiRAI MEDICAL CLINIC

住  所/ 福岡県福岡市博多区下川端町3-1 博多リバレインモール 1F
T E L/092-707-1111
院 長/ 熊澤 浩明
診療内容/内科・外科
受付時間/10:00~13:30 15:30~19:00
休 診 日/月曜日
H  P / https://miraimedical.com//

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