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地域屈指の医療センターとして
すべての疾病患者に全人的対応を
すべての疾病患者に全人的対応を
“誠実”のことばそのままの精神で
オールスタッフ心を一つに
登下校3時間の中学生生活で養われた根性で徳島大学医学部から九州大学医学部第一外科入局。当時の第一教室の中山文夫教授、旧九州厚生年金病院の西方不二彦副院長、北九州市立医療センターの光山昌珠元副院長(現名誉院長)他沢山の先輩医師に鍛えられ、世話になり今の私があると語る中野徹院長。
好きな言葉は“誠実”その2文字そのままの精神で、開院150年を迎えた北九州市立医療センター院長として全スタッフと心を一つにして患者さんのためにさらなる研鑚を積むと強く中野院長は語った。
好きな言葉は“誠実”その2文字そのままの精神で、開院150年を迎えた北九州市立医療センター院長として全スタッフと心を一つにして患者さんのためにさらなる研鑚を積むと強く中野院長は語った。
患者さんにしっかり寄り添ったアピアランスケアが大切と語る中野院長
父上は開業医、母上は海運会社社長の娘、ゴム動力飛行機に夢中の小学生時代
現在の北九州市門司区、門司港近くの竜門町(現在の東門司二丁目)で、父が開業医、母が門司港運という海運会社社長の娘という2人の間に生まれました。
東京オリンピックの年に合併して北九州市になる前の門司市立門司小学校に入学しました。当時はゴムを動力とする手づくり紙飛行機が流行っていて、校内の滞空時間を競う大会があって熱中したのを覚えていますね。優勝者は市の大会に出場出来ましたが、私は毎回チャレンジしましたが全て落選(笑)。
普段は戦艦大和などのプラモデル作りを愉しんでいましたね。
登下校3時間の中学生生活、小学生の頃福井烈プロとテニスプレイ
中学校は門司から小倉魚町経由で北方と路面電車で片道1時間半かかる福岡教育大学付属小倉中学校。登下校で約3時間なので大変でした(笑)。その頃はマイナーなサッカーの同好会でのんびりと(笑)。
高校は福岡県立小倉高校に進み、硬式テニス部に入部しました。我々は大したことは無かったのですが、先輩にその後医師になられた当時有名な板家さんが活躍されていました。
また、テニスコートの門司クラブにすごく上手な小学生が居て、時々相手をしてくれました。その少年が長じてあの福井烈プロテニス選手(笑)。同級生には地ビール工房社長で小倉高校同窓会会長をしている宮本君がいて楽しい部活ライフでしたね。
徳島大学医学部入学しラグビー部入部、試合中の怪我入院で一年留年
開業医の父からの影響と尊敬の気持ちのまま医学部受験に臨み、徳島大学医学部に入学しました。医学部のラグビー部に入ったのですが、試合中に怪我をして脳出血。父の伝手で九州大学の脳外科で高名な北村勝俊教授に診て貰うなど、先生方やラグビー部の先輩にもお世話になりました。
2カ月の入院で、解剖など重要な試験のタイミングを逃して留年し、結果7年で卒業しました。後遺症もなく四畳半一間の下宿生活ですが、仲間に恵まれて愉しい学生生活でした(笑)。ほとんどが医師になりましたが、中華料理屋の親父になったのも(笑)。
ラグビー西医体優勝メンバー
九州大学第一外科入局し第一研究室、中山文夫教授に師事、九大最初の大使館付き医務官としてタンザニアへ
医局は父の影響で外科、九州大学第一外科中山文夫教授の元で研修。生化学的分析が強い教授で、第一研究室に配属され、3年半研鑚を積みました。
その後、国立小倉病院、国立中津病院にそれぞれ1年間勤務し、九大の研究室に戻り、1986年町立芦尾中央病院外科医長として赴任して2年半。
その頃、旧帝大系の教授会に外務省から、大使館付きの医務官不足の改善要請があり、中山教授が手を挙げて、私が九大から初めて行くことに(笑)。外務省二等書記官、タンザニア大使館医務官として1年間勤務しました。マラソンのイカンガーの名を知る程度なので、妻は拒否(笑)。単身赴任をして二日後に、タンザニア厚生大臣を座頭に東アフリカのエイズ会議に出席するよう促され、円卓に日本代表のプレートが(笑)。隣はイタリア代表での大盤振る舞いの貢献発言(笑)。私は慎重に言葉を選びましたね。
それから6年後に小倉高校ラグビー部の後輩で九大第2外科出身”ロシナンテス“の川原尚行先生が勤務することに。
芦屋病院から九州厚生年金病院へ、西方不二彦副院長のスパルタ指導を受ける
タンザニアに赴任している間、家族は町立芦屋病院の一戸建ての官舎に住んでいて、私は外科医長として復帰しました。 西日本で最初にCTを導入した病院で、九大からも患者さんがCTを撮りに来てました。九大医学部第一外科助手を経て九州厚生年金病院外科医長として13年在籍し、ひたすら臨床で頑張りました。
この時期お世話になった方は山程いますが、強烈なのは西方不二彦副院長。現在では想像もつかない鍛えられ方で、365日休みなく働きましたね。困難な手術に成功してからは対等に扱ってくれましたがそれまでは苛酷の2文字では追い付かないほど。それでも楽しかったですね。
厚生年金病院時代福知山縦走
2017年4月、北九州市立医療センター院長就任、公立から独立行政法人病院機構へ
県立嘉穂病院外科部長から2007年北九州市立医療センター外科主任部長として着任し、現在同センター顧問の光山昌珠副院長にお世話になりました。
その10年後の2017年4月に院長に就任し、2019年4月から公立から地方独立行政法人になり、病院機構として云わば親方日の丸気風からの脱却を図るべく意識改革に着手した矢先新型コロナ感染の嵐に見舞われました。
それでも明治6年開院から今年で150周年。144年続いた公立気質を意識改革させるのは至難の業ですね。それ故、スタッフひとりひとりのコンセンサスを得るべく月一回のビジョン提言をしています。
また建物も築32年と老朽化していて災害指定病院の様相を呈していない現実があります。改善すべきことが多くて頭が痛いですね。
わっしょい百万北九州、元気に参加
緩和ケア病棟の充実を図り、患者さんに寄り添った、アピアランスケアを
現在当センターの入院患者のうち、がん患者が過半数を占めており、肺がんや乳がん、大腸がん、婦人科も含め、主要ながんの治療実績は福岡県下でもトップクラスです。治療だけではなく、精神的苦痛や経済的事情、緩和ケアまで全人的にサポートすることが大切だと思っています。
その為、がん緩和ケア病棟の充実を図り、患者さんにしっかり寄り添ったアピアランスケアに努めるべく、スタッフ一同心を一つにしなければなりませんね。
平成8年1月門司会、尊敬する先輩と
◆北九州市立病院機構 北九州市立医療センター
住 所/北九州市小倉北区馬借二丁目1番1号
T E L/093-541-1831
病 院 長/中野 徹
診療内容/総合診療科、血液内科、肝臓内科、膠原病内科、甲状腺内科、総合外来、心療内科、精神科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、外来化学療法センター・腫瘍内科、内分泌代謝・糖尿病内科、緩和ケア内科、小児科、外科、整形外科、脳神経外科、呼吸器外科、心臓血管外科、小児外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、総合周産期母子医療センター、眼科、耳鼻咽喉科、放射線科、病理診断科、救急科、麻酔科、歯科
受付時間/初診・再診 8:00〜11:00
休 診 日 /土・日曜日・祝日、年末年始
H P / https://www.kitakyu-cho.jp/center/
T E L/093-541-1831
病 院 長/中野 徹
診療内容/総合診療科、血液内科、肝臓内科、膠原病内科、甲状腺内科、総合外来、心療内科、精神科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、外来化学療法センター・腫瘍内科、内分泌代謝・糖尿病内科、緩和ケア内科、小児科、外科、整形外科、脳神経外科、呼吸器外科、心臓血管外科、小児外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、総合周産期母子医療センター、眼科、耳鼻咽喉科、放射線科、病理診断科、救急科、麻酔科、歯科
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