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OffTime7月号 インタビュー 社会医療法人天神会 新古賀病院 院長 川﨑 友裕

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福岡東地域の基幹病院としての責務は
超高齢化社会ニーズへの確かな貢献

大分医科大学から佐賀医科大学へ
循環器でカテーテル手術真一文字

 両親は薬店経営、父上の兄の伯父さんは内科医院を営んでいた環境の中、当時のヤンチャ本流の小学生中学生の荒波にのまれず、大分医科大学に入学、佐賀医科大学循環器内科に入局。松尾修三教授に師事し、以後カテーテル治療の恩師 福岡徳洲会病院(現 川﨑幸病院)の中村 淳先生、現在天神会理事長 古賀伸彦先生にカテーテル治療のバトンを渡され、現在病院長として、働き方改革などで翻弄医療の海の中、先輩医師の恩に報いるべく懸命に舵を握り続けている。

断らない医療をモットーに、スタッフ一同粉骨砕身努力していくと厳しい眼で語る中根博院長

薬店を営む両親のもと佐賀郡川副町に生まれる
有明海に近いヤンチャ坊主ばかりの小学校

 生まれたのは佐賀県佐賀郡(現在佐賀市)川副町、オスプレイが配備されようとしている佐賀空港からクルマで10分ほどのところです。当時両親は薬店を営んでいて、父の兄の伯父さんは長崎大学医学部を出て唐津で川﨑内科を開業していましたが、1945年8月9日の原爆で被爆していて身体が弱かったこともあり閉院は早かったようです。
 小学校は南川副小学校。有明海に近く、友達は海苔養殖業者のこどもが多く、ヤンチャでした(笑)。一学年の生徒は120名程でしたが普通にしていて成績はまあ良かった(笑)。
 その頃、母方の叔父さんがラジコンをやっていて、その影響でプラモデルの戦車に夢中。外装はどうでもよく内部のメカニズムに興味津々。叔父さんからも”変わったヤツだな“と(笑)。

大分医科大学入学してバトミントン部へ
5年生の時にシングルスで優勝

 大分医科大学に入学し、テニスはやめてバドミントン部に入部。テニス経験者だからスマッシュなど上から打てるのが有利でしたがなかなか勝てない。3年生の時に先輩達と相談し、医大ヶ丘周囲の道路を下って上る6kmほどの走り込み、その後のダッシュ、筋トレなどハードなトレーニングを週4日続けることで少しずつ勝てるようになり、5年生の時に大分県の学生選手権(大分大、大分医科大、日本文理大、別府大、大分高専が参加)で、シングルスで優勝しました。快挙ですね(笑)。

大学4年生 西医体にて

佐賀医科大学内科(循環器内科)に入局
教授室でカテーテル論争

 大分医科大学卒業後は地元の佐賀医科大学内科に入局し、内科全科を研修医として巡りました。2年目には多久市立病院に出向しましたが、内科医は院長と2人で何でもしなければならず、勉強になりました。
 妻は大分医科大学バトミントン部の同級生で、多久市立病院を去る頃に結婚しました。
 翌年、佐賀医科大学内科に戻り、医師4年目に松尾修三教授の循環器内科に入りました。循環器内科では、小倉記念病院の延吉先生らが始められていたカテーテル治療に興味があり、松尾教授に”カテーテル治療をやりたい“と訴えたところ、”年功序列だ、まだ早い“と一喝され教授室で論争になりました。この時は当時の助教授の早野信元先生に仲裁に入って頂き取りあえず鎮静したのですが(笑)、これが沖縄に行くきっかけでした。

沖縄ハートライフ病院、沖縄南部徳洲会病院
トータル5年のカテーテル治療のスキルアップを

 大分医科大学バトミントン部の先輩で当時福岡徳洲会病院 循環器内科部長の中村 淳先生からの”来年沖縄でカテーテル治療を始めるから一緒にやろう“というひと言で一念発起し、平成4年、沖縄ハートライフ病院循環器科に勤務することになりました。完成したばかりの全室個室のオーシャンビューの患者さんにとっても快適な病院でしたが、翌年、カテーテル治療の需要の多い沖縄南部徳洲会病院循環器科に異動しました。
 沖縄時代は中村先生にカテーテル治療の全てを叩き込まれ、また当時販売され始めたマッキントッシュのノートパソコンを活用しながら、治療した患者さんのデータ整理や学会発表用のスライド作りなどを厳しく指導されました。トータル5年の沖縄滞在はハードでしたが私にとって黄金の日々でしたね。

平成9年 古賀病院循環器科へ
挽地先生と数多のカテーテル手術

 数多のカテーテル治療を経験し自信を深めたことと長男の小学校入学もあり、5年間の沖縄ライフに見切りをつけました。再スタートを切ろうとしていた時、大分医科大学の同級生で親友の挽地 裕先生の誘いで平成9年4月、古賀病院循環器科に勤務することに。その頃の古賀病院は年間800件ものカテーテル治療を少人数で行っていたこともあり、、現在医療法人天神会の理事長をされている古賀伸彦先生に温かく迎え入れてもらったことで、私の第2のカテーテル人生が始まりました。

1994年TCT@ワシントン 斎藤先生、挽地先生、田中先生と

昭和63年5月 佐賀医科大学(現佐賀大学医学部) 内科
平成1年6月 多久市立病院 内科
平成2年6月 佐賀医科大学 内科
平成4年6月 沖縄ハートライフ病院 循環器科
平成5年8月 沖縄南部徳洲会病院 循環器科
平成9年4月 古賀病院 循環器科
平成14年4月 新古賀病院 循環器科部長
平成21年6月 新古賀病院 心臓血管センター センター長
平成24年6月 新古賀病院 副院長
令和4年4月 新古賀病院 院長、久留米大学病院臨床教授

平成24年新古賀病院院長就任
認定地域医療支援病院として
筑後広域医療圏の先進医療、救命救急医療に貢献

 久留米にはそもそも市立病院がありません。そのかわり久留米大学病院を中心に、聖マリア病院、久留米総合病院、、久留米大学医療センター、新古賀病院があり、救急車の搬入件数もその当時から年間3000件以上受け入れるなど、市立病院的な役割を担ってきました。また地域医療支援病院として認定されたことで、久留米だけでなく筑後など含む医療圏の中核病院として、地域の患者さんの診療はもとより増加する救急患者に対応するため、医療スタッフのスキルアップとともに病院としての機能の充実を図ることに力を注いでいます。
 一方で2024年度から始まった「医師の働き方改革」ではすごく苦労しています。新古賀病院では当初から「A水準」を目指しているため、年間960時間以内という時間外労働の制限が重くのしかかってきます。このため時短の方策として看護師の「特定行為」による医療補助やメディカルクラークによる医療DXを活用したタスクシフト/タスクシェアは必要ですし、その整備も急務となっています。
 とはいえ筑後広域医療圏における先進医療や救急医療の現場で先頭に立ち、信頼を裏切らない良質の医療サービスを提供していくことは私たちの役目なので、満足の2文字を頂けるよう、今後も日々努力していきたいと思っています。

PCIワークショップ@アルゼンチン
2010年 ACCにて

社会医療法人天神会 新古賀病院

住  所/久留米市天神町120
T E L/0942-38-2222
院   長 /川﨑 友裕
診療内容/
循環器内科、呼吸器内科、消化器内科、消化器外科、心臓血管外科、脳神経外科、糖尿病・甲状腺・内分泌センター、腎臓内科、放射線科、呼吸器外科、脳神経内科、膠原病・リウマチ科、乳腺外科、婦人科、遺伝外来 (婦人科)、形成外科、禁煙外来、麻酔科、病理診断科、総合診療、救急科、足病センター、整形外科、歯科、集中治療科
診療時間/
本館 月〜金 8:30〜17:00(受付 8:30〜16:30)
   土曜日 8:30〜12:00(受付 8:30〜11:30)
東館 月〜金 8:30〜17:00(受付 8:30〜16:30)
   土曜日 8:30〜17:00(受付 8:30〜16:30)
休 診 日 /日曜日・祝日・年末年始 ※救急外来・休日時間外外来は24時間対応
H  P / https://www.tenjinkai.or.jp/top/shinkoga/

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