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OffTime10月号 インタビュー 医療法人 清明会 やよいがおか鹿毛病院 整形外科

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ひとりひとり熟練のスキル
整形外科医師カルテット

この病院があって良かったと信頼される患者さんにとって安心で最良な医療を


鹿毛明義理事長が昭和54年に医療法人清明会開設以来30年余、鹿毛病院は、夜間・休日を問わず、常に救急医療に即応できる診療を行うことを目標としている。常時手術可能な体制を敷き、地域医療のために貢献することを理念とし、今回登場願った4人の整形外科医師はじめすべての医療従事者は、より高度な医療スキルのため、研鑚を積み重ね続けると共に、患者様との相互信頼、奉仕の精神を忘れぬよう努力している。

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親からもらった大切な身体、あえて手術しなくてもいいと、その見極めが大事と葉院長
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患者さん、医療スタッフすべてが満足できるよう努力することを心懸けていると竹山医師
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14歳の頃受けた膝の半月板の手術現場、その雰囲気が医師を志したキッカケかなと野田医師
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祖母の表具店でこどもの頃トンカチやノミを使っていたのが、整形外科医としてのルーツと唐島医師

自身の手術経験、兄や従兄への憧れ、医師を目指した動機は各様

野田医師 12歳の頃から痛みがあった膝の半月板を、中学2年生14歳の時、某大学病院で手術を受けた際の現場の雰囲気が妙に心地良かったのです。現在も久留米で健在ですが、父が歯科医であったことも相まって、漠然と、医者ってイイかもと思ったことが、その道を志した遠因かもしれませんね。

竹山医師 私の場合は、小学一、二年生の頃、当時医学生で独り暮らしだった従兄が、しばしば食事にわが家を訪れるのが嬉しくて、長じて外科医になるのですが、その凛々しい姿に憧れて、何となく医者もイイかなと思った覚えがあります。

唐島医師 私が今の整形外科医になったのは、福岡大学医学部に入り、いろいろな科を廻り、進路を考えていた時、人工関節の手術を見て実に興味深いと思ったことがキッカケです。祖母の家が生業として表具店をしていて、トンカチやノミ、カンナを使っていたりし、こどもの頃はちょっと手伝ったりしていました。整形外科の手術で使用するハンマーやドリルが、私にとっては取っ付きやすかったのかもしれませんね。

葉副院長 兄は小児麻痺でしたが頭脳明晰で、父が商売の跡を継がなくても良いということで、医学部に進みました。その兄の影響で、私も医者を志し、兄弟姉妹は8人ですが、男兄弟4人は全員医学部に進みました。父は、17歳の時日本に来て、行商しながら艱難辛苦一介の華僑として、戦後の厳しい時代、私たちを育ててくれました。有難いことです。

それぞれ中学高校大学は違えど同じ整形外科医への道を進む

野田医師 中学校は全寮制の弘学館、高校は明善高校そして福岡大学医学部に進みました。最初は脳外科に入り5年間在籍した後、整形外科に移りました。脳外科時代は、福島教授に師来し、整形外科に移る時も心地良く送り出してくれるなどお世話になりました。整形外科では、今は退官されましたが、明善高校の大先輩である内藤教授によくしていただきました。

唐島医師 中学校は全寮制の弘学館、高校は明善高校そして福岡大学医学部に進みました。最初は脳外科に入り5年間在籍した後、整形外科に移りました。脳外科時代は、福島教授に師来し、整形外科に移る時も心地良く送り出してくれるなどお世話になりました。整形外科では、今は退官されましたが、明善高校の大先輩である内藤教授によくしていただきました。

竹山医師 私は、西南中学から筑紫丘高校そして福岡大学医学部整形外科に進み、マイペースよろしく粛々と卒業しました。

葉副院長 プロレスの坂口征二と一緒の櫛原中学から明善高校、久留米大学医学部に進み、九州大学の整形外科に入局しました。私の座右の銘とも言うべきことばは「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」。私の整形外科医師生活を支える大切な名言です。

沢山の病院勤務で獲得した専門医のスキル、さらなる〝臨機応変〟の頂きへ

葉副院長 最初の勤務先の広島日赤病院整形外科部長、福岡大学医学部整形外科の初代教授でもあった高岸直人先生には、ピンセットの持ち方から医療手術のイロハから、一方ならぬお世話になりました。そして東京がんセンター中央病院、福大病院で20年、白十字病院で5年勤務し、鹿毛病院で副院長として15年になります。

野田医師 最初は福大病院、その後福岡徳洲会病院、福大筑紫病院、福西会病院、白十字病院、また戻って福西会病院から現在の鹿毛病院に至るわけです。これからは、患者さんとしっかり向き合って、自身のマインドも充実させながら一生懸命に医療に励みたいと思っています。

竹山医師 福大病院から福岡徳洲会病院、みやま市のヨコクラ病院に勤務しました。それから4年間福岡大学大学院で研鑚し、福岡大学病院救命センター、白十字病院(野田医師と一年間一緒)、そして鹿毛病院です。いま心懸けている事は、患者さん、医療従事者すべてが満足の2文字を得るために努力すること。私自身、そのことにどれだけサポートできるかですね。

唐島医師 先ず福大病院に勤務し、福岡徳洲会病院(竹山医師と同時期在籍)、再度福大病院、福島県の磐城共立病院から福岡大学大学院(この時期竹山医師と一緒)、それから広島のシムラ病院、北海道のえにわ病院、福岡青洲会病院から現在の鹿毛病院。沢山の病院で研鑚を重ね、多くの先生方にご指導いただき、本当に感謝です。私自身整形外科医として、丁寧に細心にと準備して、手術に臨みます。私含めて各先生方は、勉強会に積極的に参加するなど、最新情報にも貪欲です。特に、鹿毛病院整形外科医チームとして、皆で、骨折の治療、関節鏡、人工関節等の手術を頑張ろうとしています。

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