祖父は九州大学医学部第一外科出身。第2次世界大戦のためドイツ留学を断念し、山口の陸軍病院を経て1940年に「佐田病院」を開院。父は2代目として病院を発展。自らも自然と医学の道へ進み、3代目院長に就任。福岡市救急病院協会の会長を8年間務め、平成21年11月に総務大臣表彰、平成29年9月に厚生労働大臣表彰を受けている。
息子の政史は九州大学医学部を卒業後、同大学院で博士号を取得。九州大学病院などでの勤務を経て、2025年に4代目院長に就任。
On — 仕事のこと
医者家系の3代目、福岡教育大学附属小中学校では野球に熱中
病院の敷地内にある家で生まれ育ちました。祖父の佐田正人が佐田病院を開院し、父の佐田増美が2代目院長、自分が3代目です。
幼い頃から身体を動かすのが好きで、近所を走り回っていました。福岡教育大学附属小学校では、毎日のように放課後はグラウンドで同級生と野球に興じていましたね。
中学校はそのまま福岡教育大学附属中学校に進み、野球部に入りました。坊ちゃん学校の弱小チームでしたが、野球漬けの毎日は愉快でした。ファーストを守り、キャプテンを務めさせてもらいました。市の大会や県大会にも出場しましたが、3年間で勝てたのは1度だけ(笑)。それでも良い思い出です。

修猷館高校ではビリヤードに熱中し成績不振に
修猷館高校では当時流行りのビリヤードに熱中しました。特に「四つ玉」が好きでしたね。こちらも毎日のように通いました。
幼い頃から、休日などに祖父や父に連れられて手術室に出入りしていたので、いずれは自分も外科医になるのかなとなんとなく感じていたと思います。振り返ると無言の圧力ですよね。大学受験を考え始めると、当然のように医学部を目指しました。
ところが、遊び過ぎていたせいで、成績は大不振。医学部進学は半ば「赤信号」の状態でした。そのことにハッと気がついた高校3年生の私は、一転して憂鬱な日々を過ごしました。
久留米大学医学部ではバスケットボール部、医局は同大学病院第二外科へ
久留米大学医学部では、なぜかバスケットボール部に入りました。こちらもすぐにのめり込み、最後はキャプテンを務めさせてもらいました。
卒業して、医局を九州大学にするか久留米大学にするか悩みましたが、当時、佐田病院で大変お世話になっていた中山陽城先生が医局長をされていた、久留米大学病院第二外科に入りました。
そこでは、古賀道弘教授、陽城先生の兄上の中山和道教授らの薫陶を受けました。特に中山陽城先生からは、入局して間もない頃に、修業として対馬や萩の病院での研修を命ぜられました。駆け出しの身でありながら一人で手術を任されることもあり、大変な日々でしたが、とても貴重な経験をさせてもらいました。
諸先輩方からは、その後も多岐にわたり言い尽くせないほどの恩恵を受けました。今でも心より感謝しています。
博士号取得後、西ドイツ留学。ミュンスター大学教育関連病院デトモルト州立病院では手術の日々
久留米大学病院に戻り、1984年に博士号を取得しました。その後、古賀道弘教授からドイツ留学を命ぜられ、ミュンスター大学教育関連病院デトモルト州立病院にて勤務しました。
デトモルト州立病院では、外科医として、手術をメインに担当しました。連日の手術は、文字通り鍛錬の日々でしたね。ルーツ・ブラウン教授の手解きを受け、とても有意義な経験でした。
ドイツは勤務時間が決まっていて、朝7時から仕事をし、夕方5時には帰宅していたと思います。妻と長男の政史、長女も帯同していたので、日本にいた時よりも家族サービスできていたと思います。記憶が美化されているだけかもしれませんが(笑)。

帰国後は大学病院へ戻れず佐田病院へ。福岡初の腹腔鏡手術を実施
留学先から帰国し、久留米大学病院に戻って外科医を務めようとしていたところ、父が病気になり、急遽、1987年に佐田病院に副院長として戻ることになりました。
昔から手術も多く「佐田外科」のイメージがあって病院の特徴は明確だったのですが、周囲に新興の総合病院が複数存在していたことから、いずれ埋もれてしまいかねないという危機感がありました。
そこで、ドイツで出会った「腹腔鏡手術」に思い至り、1990年に再び西ドイツへ。まだ日本では行われていない術式だったので、見学研修し、これからの外科手術には必須だと確信しました。
医療機器や設備などのハード面の準備を思うように進められずにいたところ、九州大学病院が手術デバイスを活用し切れていないということで、福岡市で初めて、私が「腹腔鏡下胆のう摘出術」を行いました。
その後も佐田病院は腹腔鏡手術の先駆者として手術件数を重ね、その数は12,000例に達し、厚生労働省のデータでは腹腔鏡下胆のう摘出術の症例数が日本一になっています。

専門領域に特化し、精鋭チームで地域の医療インフラを担う
医療機関を取り巻く環境は年々厳しくなっており、佐田病院のような中小病院は専門特化しないと生き残れないと思います。今の三本柱は、① 胆石の手術(腹腔鏡下胆のう摘出術)、② 鼠径ヘルニアの手術、③ 整形外科の脊椎・脊髄手術です。
これからは、4代目院長の佐田政史を中心に、得意領域を見定め専門性にさらに磨きをかけ、福岡市中央区の専門病院として、地域の皆さまの健康な生活を支える医療インフラを担い続けてもらいたいと考えています。

略歴
- 昭和52年4月 久留米大学医学部第2外科入局
- 昭和59年5月〜61年12月 西ドイツ ミュンスター大学教育関連病院 デトモルト州立病院 勤務
- 平成3年7月 医療法人 佐田厚生会 佐田病院 理事長就任
- 平成4年11月 九州大学第一外科 準会員
- 平成7年2月〜29年7月 日本内視鏡外科学会 評議員
- 平成9年11月 医療法人 佐田厚生会 佐田病院 院長就任
- 平成15年10月 福岡大学 臨床教授
- 平成16年7月〜23年3月 福岡市救急病院協会 会長
- 平成19年5月 第3回 日本短期滞在外科手術研究会 学術総会 会長
- 平成20年4月 RKB毎日放送 番組審議員
- 平成21年9月 第15回 日本胸腔鏡下交感神経遮断研究会 会長
- 平成29年10月 日本胸腔鏡下交感神経遮断研究会 代表幹事
- 令和元年5月 福岡県医療法人協会 会長
- 令和2年10月 日本臨床外科学会 特別会員
- 令和4年10月 第26回 日本胸腔鏡下交感神経遮断研究会 会長
Off — 休日のこと
古賀ゴルフクラブで念願のグランドシニアチャンピオンに
趣味はゴルフです。サンデーゴルファーで、月に3回ほどラウンドしています。昨年10月、私がキャプテンを務めさせてもらっているホームコースの古賀ゴルフクラブで、グランドシニアチャンピオンになりました。

最近はクラシック音楽にも触れるように
妻は桐朋学園大学音楽学部ピアノ科卒業で、娘は英国王立音楽院出身のピアニストです。自分は子どもの頃から身体を動かすばかりでクラシック音楽とは無縁でしたが、亡くなった弟が花屋を営んでいた跡地を音楽サロンに改装したこともあり、娘のコンサートなどを聴く機会が増えました。最近はシューマンの Abendlied(夕べの歌)がお気に入りです。

息子を訪ねて米国旅行。前回はノースカロライナ州、次回はウィスコンシン州へ
旅行も大好きで、ドイツ勤務時代はヨーロッパ各国を車で巡りました。今も機会を見つけて妻と旅行を楽しんでいます。
次男が米国で心筋細胞の研究をしており、2023年には、彼が当時在籍していたデューク大学があるノースカロライナ州を訪れました。彼がウィスコンシン州の研究所へと拠点を移したので、いずれ訪れたいと考えています。
次男がどういうキャリアを歩むか分かりませんが、帰国してくれても良し、米国で研究を続けてくれれば旅行の理由ができてそれもまた良し、です。

