116年の実績を誇る溝口病院、さらに高度の専門性を追求。明治42年、曾祖父・溝口喜六が天神に開業して116年。久留米大学医学部から九州大学医学部整形外科に入局し、数々の病院でキャリアを積み、前院長・小島哲夫先生から「手の外科」の手ほどきを受け、選りすぐりのスタッフと共にさらに高レベルの専門性を追求する小川院長。母指CM関節症の治療法となる「しゃもじプレート®」開発など、今後の溝口病院から目を離せない。
On — 仕事のこと
父上は心臓外科医師、天神で生まれ大名小学校へ
生まれは福岡天神、旧九州医療センター国立福岡病院の産科で産声を上げました。父は心臓外科医として、此処、溝口病院で院長として勤務していました。
小学校は、現在はありませんが大名小学校。普段は友達同士で、校庭だったり親不孝通りの長浜公園で野球をしていました。あとは切手収集を何となく。

警固中学校でバスケットボール部、150cmの身長が卒業時に175cmへ
中学校は警固中学校。3年間バスケットボール部で汗を流していました。入学時の身長は150cmでしたが、卒業する頃には175cm。何と25cmも伸びていた。夏休みの明けに整列すると明らかに5人抜き。
この頃は漫画「ビーバップハイスクール」や尾崎豊の楽曲に影響されて、校舎の1階の窓ガラスが全て割られ、その対策として窓ガラスはしばらくダンボールでした。
西南学院高校では帰宅部、父上の死去で進路を医学部へ
高校は西南学院高等学校。専ら帰宅部で、身長は185cmになり、全校生徒450人の中、190cmに次いで2番目に。
高校2年生の時に父が死去し、誰かが医師にならなければならないという事情があり、二男である私も進路を医学部受験に決めました。本当はトム・クルーズのトップガンが流行っていた時で、パイロット志望でしたが。
結果としてひとりの姉を除いて男兄弟3人は医師になりました。
久留米大学医学部で硬式テニス部入部、夜は親不孝通りのディスコ通い
久留米大学医学部に入学し、硬式テニス部に入部しました。左利きで高身長なので、サーブなど圧倒的に有利で、卒業する頃には部内でナンバー2でしたが、「九山医体」「西医体」の大会の成績はソコソコでしたね。
当時はバブル期で、学生で金もないのに、ご多分にもれず夜は酒とディスコ通い。バーでバーテンダーのバイトをしたり、親不孝通りの「マリアクラブ」や「マハラジャ」で踊っていましたね。
九州大学医学部整形外科に入局、くじ引きで1年毎に病院巡り
平成六年に九州大学医学部整形外科に入局し、杉岡洋一教授に師事しました。
九大整形外科は伝統的に毎年のくじ引きで赴任先の病院を決めるシステムで、1年毎にさまざまな病院に勤務しました。
明治42年、曾祖父・溝口喜六が天神町に開院。以来、今年で116年
1909年(明治42年)、溝口喜六が現在の天神町の病院を開いたのが始まりです。この場所は当時、渡辺通を作られた渡辺さんから、土地を無償で譲っていただいたと伝えられており、本当にありがたいご縁からのスタートでした。
その後、喜六は福岡県医師会の会長を務めていた時に、九州医学専門学校(現在の久留米大学医学部)の設立にも関わりました。教授・学長・理事長を歴任し医療と教育の両面で地域に尽力していたと聞いています。
しかしその後の当院の歩みは、決して順風満帆だったわけではありません。福岡大空襲で病院は全焼し、福岡西方沖地震では建物の一部が傾き、近年ではコロナの影響で入院患者が激減するなど、何度も「続けられるかどうか」というような危機に直面してきました。

令和7年・溝口病院院長就任、専門性の高い分野でさらなる研鑽を
これまで、中央区を中心とした地域の先生方と繋がり、ご支援のおかげで続けてこられたことを改めて感謝申し上げ、前院長の小島哲夫先生の意志を引き継ぎ、新院長として、さらなる研鑽を重ねて行きます。
22年間溝口病院に勤務し、小島先生に手ほどきを受けた手の外科専門医として、CM関節症の治療法である「しゃもじプレート®」の開発はじめ、現在は、手外科・マイクロサージャリー・肩関節外科・小児整形外科など、整形外科の中でも専門性の高い分野に力を入れ年間2,300件ほどの手術を12人の医師で担当しています。
これからも福岡市中央区を中心にした地域医療に、専門病院としてのクオリティアップを図りながら貢献したいと思っています。

略歴
- 1994年 九州大学医学部整形外科入局
- 1994年 福岡逓信病院 整形外科
- 1995年 九州大学病院 整形外科
- 1996年 済生会八幡総合病院 整形外科
- 1997年 山口赤十字病院 整形外科
- 1999年 九州大学病院 麻酔蘇生学科
- 2000年 佐世保共済病院 整形外科
- 2001年 川嶌整形外科病院 整形外科
- 2002年 溝口外科整形外科病院 整形外科
- 2023年 同 副院長
- 2025年 同 院長
Off — 休日のこと
ニセコでのスノーボード、玄海のルアーフィッシング、九州各地でのグループキャンプ
学生時代から始めた硬式テニスは医師になっても続けて、医師会の大会や一般の大会などにも出ていました。しかし変形性股関節症・膝内側半月板損傷・変形性肘関節症など様々な疾患を抱えるようになり、残念ながら3年前からテニスを休止しています。今年、高校生の息子が硬式テニス部に入ったので、軽く打つくらいのテニスから再開しようかとは考えてますが。
年に2・3回ほどは、船での海釣りに行っています。玄海灘の壱岐・対馬周りでのタイラバや夜焚きイカなどがメインです。
病院の職員には一緒に楽しんでくれる連中が多いので、一緒にいろいろ楽しいイベントを企画しています。夏は西区ざうお本店ビーチでのBBQ、秋には病院の職員やその家族を集めて30人ほどでグルキャン、冬は北海道のニセコスキー場へ行くスキー・スノーボード部、30人で参加したリレーマラソン大会、不定期でボーリング大会などと、年中休みなく遊んでいます。
また、20年前より溝口病院女子バレー部の監督も任されています。市の医師会の大会などに出場していて、今年の春の大会はみごと準優勝となりました。

病院キャラクター「MIIO(ミーオ)くん」
溝口病院110周年の際に、東京オリンピックマスコットキャラクターデザイナーの谷口亮氏に病院のマスコットキャラクターを製作していただきました。溝口病院の「M」と110から名前を取って、「MIIO」くんと名付けました。現在、溝口病院のいたるところでミーオ君と会うことができます。

