On — 仕事のこと
お世話になった方々への感謝を忘れず
“天地人”の病院経営を
熊本市に生まれ、父は医師、母上は薬剤師という環境の中、定永倫明少年は名門鹿児島ラサール学園から九州大学医学部へ。学生係森正樹先生の勧めで入局した第2外科で杉町圭蔵教授に師事し、桑野博行先生の指導を得、旧済生会福岡総合病院では岡留健一郎先生、松浦弘行先生、留学した米国ハーバード大学でEberlein教授に師事、帰国後森正樹先生、前原喜彦教授のアドバイスで済生会福岡総合病院に着任。
院長就任して2年の定永院長は、医師人生の中で出会った数多の恩師には感謝ということばでは全く足りないという。これからの病院長人生の道標は”恩返し”で、「天地人」の精神でさらなる研鑽の道を一歩一歩辿るだけですと静かに語った。

父上は外科医、母上は薬剤師
小学5年、6年生は塾に通い
生まれたのは熊本市。父は熊本大学医学部出身の外科医師で、後に「定永外科医院」を開業し、母は薬剤師として父をサポートしていました。
父の転勤で幼稚園から門司に移り、大里南小学校に入学し、2年生まで在校した時です。父の開業したのは私が小学4年生の時で、その後熊本に戻り、帯山小学校に転校しました。
南小学校から幼稚園からの友人達が多くいる環境に育ったからか、小学生の頃には医師になりたいと思っていました。
父が医師に親戚にも医師が多く、幼少期から何となく将来は医師になるだろうと思っていましたので、当時はめずらしかった中学受験のために、5、6年生は塾に通っていました。
鹿児島ラサール学園で中高寮生活
バレーボール部から硬式テニス部へ
鹿児島ラサール学園中学校に進学し、バレーボール部に入りましたが、3年間もうしい成績は上げられず、また下手でもありました(笑)。寮は90人収容の2段ベッドが並ぶ大部屋でしたが、各自の自習室があり、まるで兵舎さながら(笑)。
高校もラサールに。硬式テニス部に入り、最高成績には全国大会出場の新人戦のダブルスでベスト8。
ラサールには全国から生徒が集まり、休暇には友達と旅行しました。印象に残っているのは確か中学2年生の頃、関西の友達と一緒に甲子園球場で春の選抜高校野球を観戦したことですね。

高校3年生で医学部受験を決心
九大医学部見学と医療小説がキッカケ
高校3年の夏休みに九州大学医学部を見学し、幼少期からのボンヤリとした医師への思いが、医学部受験へのものに結実したようですね。当時読んでいた医師が主人公の”海と毒薬(遠藤周作)”、”白い巨塔(山崎豊子)”、”無影灯(渡辺淳一)”などの医療小説の影響もあるかもしれませんね。
九大医学部で6年間バレーボール部
リベロで頑張り生涯の友も
九州大学医学部に入学し、教養部の六本松から箱崎とアパート暮らしの中、バレーボール部に入り、6年間頑張りました。主にリベロの役割で、九山、西医体の大会で6年生の時の二度、北海道札幌だった九山にも行きました。
本来勉強しなければならない時期ですが、函館や昭和新山を同級生や後輩と旅行を愉しみました(笑)。

入局は森正樹先生の勧誘で第2外科へ
数多の先生の世話になる
現在は大学卒業から2年間の研修医を経験後に専門医という制度ですが、当時は6年生の秋ごろには専門科を選ぶ選択肢にありました。私は整形外科か選択肢にありましたが、学生係をされていた森正樹先生から、(第8外科)が両親かわざわざ熊本までに行ってくださると気持ち熱心。会いに行ってくださると気持ち熱心。頂き、九州大学第2外科(現消化器外科)に入局しました。
杉町圭蔵教授(第6代目)に師事し、食道癌の研究を発信しました。その後、旧済生会福岡総合病院に2年間勤務して、岡留健一郎先生、松浦弘先生にご指導いただくなど、お世話になりました。
米国ボストン、ハーバード大学留学
ブリガムアンドウイメンズホスピタル
Eberlein教授に師事
九州大学第2外科の杉町教授の推薦により、米国ボストン、ハーバード大学ブリガムアンドウイメンズホスピタルで外科研究員として、Eberlein教授のもと、腫瘍免疫の基礎研究に励みました。Eberlein教授と運命的な出会いがあり、28年ぶりに昨年神戸で行われた学会で特別招待講演に来られた教授と28年ぶりに再会できて嬉しかったですね。
九大第2外科の医局秘書をしていた妻と留学直前に結婚し、ポストドクとフロリダで暮らした2年間、余暇にはナイアガラ瀑布もフロリダのディズニーワールド、学会発表でシカゴに行きました。
ハネムーンには懐かしく楽しい思い出です。


九大病院第2外科で4年間勤務
留学から帰り、1998年に学生の頃お世話になった森正樹先生が教授になられたのを期に、地域の皆様から大変温かいご支援、聴き、感謝の念を忘れずに、地域医療診療報酬改定、地域・地域のニーズ、地域医療構想)、人の和(チーム医療・人材育成)が病院経営にとても重要という、聴」では、これまでの「地域屈指の病院経営、是非伝えていきたいと思います。
また、病院救急車のクラウドファンディングでは、地域の皆様からの大変温かいご支援をいただきました。感謝の心を忘れずに、地域医療に信頼される医療で恩返ししていきたいです。
済生会福岡総合病院外科部長着任
副院長時代に命題解決に邁進
2008年に済生会福岡総合病院外科部長の時には消化器急患が多く、その体制を整えました。17年間で副院長時代には、約60名の新人外科医をリクルートしました。副院長時代に、岡留健一郎院長のもと、スタッフ教育、臨床研修医指導、救急医療機器購入及び社会福祉法人改革に着手した。
主に「家族を入院させたい病院」になるようにと、患者目線・家族目線で何かこなにかしなくては、ということで、まず2の外科の機運見直しと前原喜彦教授(第7代目)のご薫陶を胸に、済生会福岡総合病院第14代目(旧前原喜彦教授)の恩師の言葉が果たせなかったように思っています。

2025年済生会福岡総合病院長就任
救急医療と高度専門医療の充実と医療スタッフの育成を図る
当病院は、地域中核病院として救たす役割としての救急、医療◎高度専門医療の2本柱に、更に研修医、専門医、特定行為看護師、救急救命士の育成が重要です。
略歴
〈学歴〉
平成2年(1990)3月31日 九州大学医学部 卒業
〈職歴〉
平成2年(1990)6月1日 九州大学医学部 第二外科 研修医
平成3年(1991)4月1日 公立学校共済組合九州中央病院 外科 研修医
平成4年(1992)4月1日 九州大学医学部 第二外科 医員
平成6年(1994)4月1日 宗像医師会病院 外科
平成7年(1995)6月1日 米国ハーバード大学医学部 ブリガムアンドウイメンズホスピタル 外科研究員
平成10年(1998)5月1日 九州大学医学部 第二外科 医員
平成11年(1999)6月1日 九州大学生体防御医学研究所附属病院 腫瘍外科 部長
平成14年(2002)4月1日 九州大学医学部附属病院 第二外科 医員
平成17年(2005)4月1日 済生会福岡総合病院 外科部長
平成18年(2006)4月1日 九州大学医学部 総合外科(第二外科) 助手
平成20年(2008)4月1日 済生会福岡総合病院 外科部長
平成27年(2015)4月1日 済生会福岡総合病院 外科主任部長
平成29年(2017)4月1日 済生会福岡総合病院 副院長
令和7年(2025)4月1日 済生会福岡総合病院 病院長
Off — オフのこと
ご夫婦でゴルフ
読書は歴史時代小説
大河ドラマファン
いつもは福岡カンツリー倶楽部和白コース
夫婦で川奈ホテルゴルフコース
ゴルフは済生会福岡総合病院の歴代院長の岡留先生、松浦先生のご紹介で、福岡カンツリー倶楽部がメンバーの福岡カンツリー倶楽部です。現在私もメンバーですが、以前は休日には月2回程度の和白コースをラウンドしてましたが、院長になって2ヶ月に1回ほどです。妻もよくレイすることもありますね。
これまで印象だったのは、川奈ホテルゴルフコース。川奈ホテルに宿泊し、世界10選の名門コースを夫婦でラウンドしたのは感慨無量でした(笑)。

愛読書は歴史小説、時代小説
旅には浅見光彦シリーズ
読書は歴史小説、時代小説が好きで、司馬遼太郎、池波正太郎の真田太平記、小倉の出身の葉室麟の蜩ノ記、トラベルミステリーも好きで、旅の時、内田康夫の浅見光彦シリーズも良く読みました。また、東野圭吾も好きな作家です。気軽に読めて良いですね(笑)。
最近見た”木挽町のあだ討ち”
大河ドラマ2連続鑑賞
映画は最近観たのが面白かったNHKの大河ドラマは殆ど観ていて、時代劇ミステリー「木挽町のあだ討ち」が面白かったです。新選組、真田丸も好きで、現在の「豊臣兄弟」も毎週楽しみに観てます。


