On — 仕事のこと
数多の恩人からの激励に応えるべく
ラガーマン精神で地域医療の充実を
久留米大学附設高校から九州大学医学部の9年間で培ったラガーマン精神でハードな血液内科医生活を乗り越え、昨年九州医療センター院長就任。大恩人赤司浩一先生(現九州大学医学部第一内科教授)はじめ数多の方々にお世話になったと語る岩﨑浩己院長。これからはその恩に報いるためにも●高度急性期医療 ●救命救急センター ●広域災害拠点、それぞれの充実を図り、何より確かな人材育成で貢献したいと、力強く語った。

小学生時代は草野球、中学は陸上で三段跳び
フォークデュオでかぐや姫
炭鉱のまち大牟田市原山町、公務員の父と専業主婦の母のごく普通の家庭に生まれました。小学校は現在は廃校になっている不知火小学校で6年過ごしました。放課後、仲間と空地やその頃はOKだった公園で草野球。陽が落ちるまで夢中で、人数が少ない時は無理矢理三角ベース(笑)。買ってもらったグローブは大切で、毎日磨いていましたね。
中学校は、此処も統廃合で吸収された延命中学校(笑)。中体連では幅跳びや三段跳びをしていましたが、成績は市大会レベルでぱっとしませんでした。
それと小学6年生の頃に買ってもらったフォークギターが宝物。伊勢正三と南こうせつの”かぐや姫”が好きで、友達とデュオを組み『22才の別れ』『なごり雪』なんかを練習してました。愉しかったですね。
久留米大附設高校でラグビー同好会入部
灰色の男子校生活でバス停は薔薇色
当時男子校だった久留米大学附設高等学校に進学し、ラグビー同好会に入部しました。グラウンドはサッカー部に優先権があり、後発のわがラグビー同好会は久留米大学商学部のグラウンドを借りて練習したり合宿したり、女子マネージャーは望むべくもなく、男らだけの灰色の部活(笑)。その所為ではないだろうが、強豪修猷館高校には100対0で完敗(笑)。弱小クラブでした。
ゴールデンウィークの”男く祭”と9月の体育祭が2大イベント。ABCD別のチーム分けで現在は禁止されている学校も多いようですが騎馬戦や棒倒しはガチの精神で、ここぞとばかりに盛り上がりましたね(笑)。
そんな高校生の私は、大牟田から西鉄大牟田線で久留米駅へ、バスを乗り継いで通学していたのですが、バス停にたまっている薔薇色の久留米信愛女学院の女生徒達。バレンタインチョコを貰ったりしましたが、残念ながら進展はない(笑)。唯一光と色のついた想い出です。
九州大学医学部入学でラグビー部
6年生で”九州山口医体”で優勝
医学部受験のきっかけは、父が社会保険関係の公務員をしていたことで医師達との多くの接点があったということで、私が子どもの頃から”医師になりなさい”と言われたことと、附設の生徒たちが医学部志望ばかりで、その雰囲気と流れで九州大学医学部受験に挑み、1984年九州大学医学部入学、そしてラグビー部に所属しました。
医学部ラグビー部はまだ歴史が浅く、私は9期生でした。1年生の時は弱く、”九州山口医体”は熊本大学医学部が当時9連覇するほど強く、”西日本医体”では大阪など関西勢が優位でしたね。
そして私が6年生の時”九州山口医体”の舞鶴グラウンドでの決勝戦で熊本大学を破り創部以来初優勝。高校時代からずっとスクラムハーフで頑張っていた私にとってもこの上ない栄光の瞬間でした。その後の打ち上げは狂喜乱舞、OBたちも加わって文字で表現できない有様でした(笑)。

九州大学医学部第1内科入局
赤司浩一先生との運命の出会い
ハーバード大学留学
1990年九州大学医学部第1内科に入局、仁保喜之教授のもと研修医生活をスタート。1年目の指導医が現在第1内科教授の赤司浩一先生で、以後大変お世話になりました。翌年1年九州厚生年金病院(現JCHO九州病院)で研修し、九大に戻り腫瘍センターと輸血部医員となり、1996年からは松山赤十字病院内科に血液内科医として4年間勤めました。
そして2000年、研修医1年目の指導医だった赤司先生が米国ハーバード大学医学部ダナファーバーがん研究所に研究室を主宰されることになり、キャリアアップを少しだけ考え始めていた当時の私に声を掛けて頂きました。それから5年間基礎研究研鑚の日々。
妻は愛媛大学第1内科の血液内科医で、留学が決まったタイミングで結婚し、3年後の2月に長男が生まれました。ボストンの2月は豪雪で、陣発した妻を乗せて産院へ向かうべき車がスッポリ埋もれていて大ピンチ。近所の人に手伝ってもらって掘り除き、何とか”ブリガムアンドウィメンズホスピタル”に辿り着いたそのわずか15分度に出産(笑)。大変でした。

26年間にわたる赤司先生との充実の師弟関係
2005年、赤司教授の遺伝子細胞療法部に助手として帰国。4年後に講師さらに3年後に准教授と11年間在籍し、研究と診療の日々を過ごしました。研修医から26年間の赤司先生との師弟関係は、医師としての私には貴重かつ、この上ない幸運でした。最大限の感謝ですね。
2023年九州医療センター院長就任
42診療科の専門医及びスタッフ全員とさらなる地域医療の充実を図る
2016年に九州医療センターの血液内科科長として着任しました。前任の岡村精一先生は、九大腫瘍センター時代のメンターで、私の着任を喜んでくださいました。
その後、臨床研究センター長そして副院長を経て2023年4月、院長に就任しました。困難なコロナ禍を全スタッフの協力で何とか乗り越えて、これからはさらなる”高度急性期医療”の充実を図るべく、42専門診療科がそれぞれの高い医療技術を遺憾なく発揮できるよう人的物的投資を続ける必要があります。
次に、福岡西部・糸島地区の人々の安心のために”救命救急医療”の要所としての機能向上。そして公的病院として”広域災害拠点”の体制強化。これはコロナ禍で経験したことを活かします。
2020年2月19日に福岡県で最初のコロナ感染患者が当センターに入院し、情報がほとんどない中診療し、今までに2,000人以上診ています。少子化に歯止めが掛からない中医療界も、”人材確保・育成”が急務です。60名の研修医はじめ新人看護師他医療スタッフも毎年100名以上、そのような若い人たちへの指導教育が、大学病院のカウンターパートとしての九州医療センターの役割だと思っています。責任重大ですね。
Off — オフのこと
ラグビー観戦と創作料理と
同級生と巡る温泉とゴルフ
双子の息子のラグビー観戦は愉しい余暇の習慣
ラグビーは遠い昔に現役を離れ、現在は双子の次男、三男が修猷館高校のラグビー部でプレイしているのを、ほぼ毎週のように練習を観たり、試合も観戦しています。ラグビーは福岡では、修猷館高校、福岡高校、筑紫丘高校と昔から公立が強いイメージですが、現在は東福岡高校という大きな壁があって、直近の県大会準決勝で東福岡に負けて残念ながら”花園”にはもう一歩届きませんでしたね。

実験感覚で週末の創作料理
週末ですが料理するのが好きですね。和洋中何でも作りますが、様々な食材スパイス、調味料で実験しているようで面白い。日々研究です(笑)。

3ヵ月に一度の温泉を巡って同級生とゴルフ
久留米大学附設高校の同級生4人と3カ月に1度はゴルフを楽しみます。熊本、東京、福岡2人と集まって前日は温泉宿で愉快な会食、翌日は朝から1ラウンド。夏の暑い時は阿蘇、そうでもない時は嬉野や武雄に行きますね。





