RefreshMagazineOffTime2024.7|1院長就任から17年医師の負担軽減図りながら地域に愛される基幹病院を田川市後藤寺から百道中学、修猷館高校を経て、福岡大学病院看護師長の伯母様とブラックジャックの漫画に感化されて、福岡大学医学部へ。

On — 仕事のこと
卒業して福岡大学第一外科・志村秀彦教授、同大学院・岡田秀親教授、留学したユタ大学のCJパーカー教授、帰国して福岡大学第一外科・池田靖洋教授と錚々たる恩師に恵まれたことは僥倖この上ないと語る冨田院長。
中学高校大学と青春を過ごした仲間への友情と感謝は、いつも胸中にあるとさらに語った。
田川市後藤寺に生まれ地元の小学校から福岡市百道中学校へ転校生まれたのは福岡県田川市の後藤寺。
当時国鉄の職員をしていた父と専業主婦の母、姉がひとりの4人家族でした。
小学校は地元の後藤寺小学校に入学しましたが、父の転勤で小学5年生の時に直方北小学校に転校し、父が元の職場に戻ったので、6年生を後藤寺小学校で過ごしました。
小学生の頃は真面目に通学する、おとなしい普通のこどもでしたね(笑)。
これには理由があって、転勤が多かった父が私の将来の進学を考えて、これでは落ち着いて勉強も出来ないと独身の姉、私にとっては伯母のひとり住まいの百道の家に預けられたこと。
いま思うとこれは私が医学の道へ進む扉を開いた、父の聡明な英断でしたね。
百道中学では友達に誘われて軟式テニス部に入りましたが1年で退部し、中学2年生になってフォークギターを始めました。
キッカケは私の従妹の同級生が井上陽水だった影響で、彼の歯医者の実家に行ったことがあります。
”アンドレカンドレ“デビュー直前で彼の弾き語りを聴くチャンスがあったのですが、その時は何故か拒絶。
修猷館高校でフォークバンド結成体育祭応援団コンテストに熱中高校は修猷館で、弓道部に入り、その仲間とフォークバンドを結成しました。
バンド名は担任の先生の堅一の堅をもじって”ギャタイチ“、うまいピアノとギター2本で”明日に架ける橋“などを演奏しました。
4ブロックの応援団コンテストを演出するパネルがそれまで2色2枚だったのを私が横開き多色パネルを開発(笑)。
コロナ禍で中止していますが、2020年にイタリアンレストラン”ドムス“で無理矢理参加させるジャイアンコンサートをしました。
Off — オフのこと
伯母様が福岡大学病院看護師だったことと手塚治虫の”ブラックジャックの影響で“医学部受験へ医学部受験のキッカケは預けられていた伯母が福岡大学病院の看護師長をしていて福大医学部を強く勧められたことと、丁度高校1年生の時に少年誌チャンピオンで手塚治虫の”ブラックジャック“の連載が始まり、それで外科医になりたいと(笑)。
同級生もその後34人が医師になるなど、医学部受験は自然な流れでしたね。
福岡大学医学部では6年間バレーボール部福岡大学医学部に入学し、バレーボール部に入り、6年間、初心者から3年生でレギュラーになり、”西医体“は2回戦、”九山医体“は4位とセッターで頑張りました。
そのバレー部の1年後輩の渡邉良二が当院の外科副院長、12年後輩の森憲が内科の副院長をしています。
今年の2月には、ホテルニューオータニで多数のOBが参集して”50周年記念祝賀会“が開催され、懐かしい面々と会い嬉しい限りでした。
福岡大学第一外科で志村秀彦教授に師事腫瘍免疫学を学ぶため大学院で岡田秀親教授に師事医局はBJや白い巨塔の影響もあり、福岡大学第一外科に入局し、志村秀彦教授Onに師事しました。
その間臨床研修医とし友人を訪ねてボルチモアなど、家族で旅を福岡マラソンはiNP、医療クラークをさらに充実させると熱く語る冨田院長
院長のOff Time









