Off Time

福岡の医師・医療スタッフの休日を応援するRefresh Magazine。Doctor's Interviewを中心に、グルメ・旅・ライフスタイル・コラムをお届け。

国家公務員共済組合連合会 新小倉病院 病院長 塚本 浩

九州大学医学部第一内科に入局し、原田実根教授、堀内孝彦先生らに師事。1994年から2年間、米国アラバマ大学バーミンガム校のヴォラナキス教授のもとで補体研究に従事し、レディファーストの洗礼とアメフト観戦にハマる。帰国後、堀内孝彦先生そして造血幹細胞移植の大家・原田実根教授と難治性膠原病に対する造血幹細胞移植を手懸けるなどお世話になった恩人は数知れず。座右の銘とも云うべき向上心で右肩上がりの努力を続けて来られたと、塚本浩病院長は穏やかに語った。

塚本浩病院長
急性期医療に注力したいと語る塚本病院長

On — 仕事のこと

小学校は東住吉小学校で、小学5年生の時に、仲の良い友達がスポーツ少年団で剣道をして居り、その影響で剣道を始め、中学3年生まで続けました。

中学校は東住吉中学校で剣道部に入り、中学2年生の頃は全校的に社会体育という名の変革の動きがあり、部活停止。

疑問符のついたまま3年生になり部活再開し、キャプテンになり中体連の団体戦に参加。参加することに意義ありの成績でしたね(笑)。

また2年生から3年にかけて生徒会長もしていて、人前で挨拶することが多かった所為でその後の医師人生のスピーチに大いに役立ちました。

鹿児島ラサール高校ではサッカー部男子校だけに体育祭文化祭は至極の愉しみ高校は鹿児島ラサール高校に進みました。東住吉中学校では過去1人の入学者だったのですが私の時は2人。熊本からの転校生とクラスメイトになり、お互い切磋琢磨したのが良い結果になったのでしょうね。入ったのは良いが残念ながら剣道部が無い(笑)。剣道で身体を鍛えてきた私には勉強だけではその飢えを満たせないと、サッカー部に入部(笑)。高校2年生の終わりごろから試合に出るようにはなりましたが、ベストな成績は1学年前の県大会ベスト4(笑)、強豪鹿児島実業高校はじめいろんな高校と試合できたのは愉しかったですね。

また男子校だけに体育祭、文化祭は学外からの見学者歓迎で、特に女子生徒受けを狙って頑張っていました(笑)。

九州大学医学部入学前後5年間サッカー部で友に恵まれる中学生時代から生徒会長をしていたことで漠然と人の役に立ちたいという思いの先に医学部受験があったのかもしれませんね。昭和54年4月九州大学医学部に入学しました。高校時代からの流れで医学部のサッカー部に入部しました。

当時先輩に、ゴールキーパーをしていた現在浜の町病院病院長の谷口修一先生、ディフェンスの、九州がんセンター病院長藤也寸志先生が居られ、卒業されるまでみっちり4年間チームメイトでお世話になり、その前後5年間の先輩後輩と今でも交流があります。有難いことです。

5年生の時にキャプテンになりその時の選手に恵まれて西医体で準優勝しました。素晴らしい想い出ですね。

その頃出会ったサッカー部監督で九州大学心療内科渡邊克己先生の秘書が、以来35年間連れ添ってくれている妻です。

九州大学医学部部第一内科入局北九州市立医療センターでは膠原病内科設立1986年仁保喜之教授の第一内科に入局し、九州大学病院、九州厚生年金病院の研修医を経て、1988年九州大学医学部研究生として、その後佐賀大学教授になられた長澤浩平先生と直接的には上田章先生にしっかり2年間基礎研究の指導を受けました。

RefreshMagazineOffTime2024.1|1数多の恩人への感謝を不断の向上心で紡いだ医師人生九州大学医学部第一内科で仁保喜之教授のもと、長澤浩平先生と上田章先生にしっかり基礎研究の指導を受けた。

留学した米国アラバマ大学バーミンガム校のヴォラナキス教授の指導で補体研究の傍らレディファーストの洗礼を受け、アメフト観戦にはまった。

帰国後、堀内孝彦先生そして造血幹細胞移植の大家原田実根教授と難治性膠原病に対する造血幹細胞移植を手懸けるなどお世話になった恩人は数知れず、おかげさまで座右の銘とも云うべき向上心で右肩上がりの努力を続けて来られたと、塚本浩病院長は穏やかに語った。

急性期医療に注力したいと語る塚本病院長On[OffTimeInterview]国家公務員共済組合連合会新小倉病院病院長塚本浩大学4年の時に九州山口の大会で優勝最前列一番左が塚本、その後ろが藤先輩、最後列一番右が谷口先輩マドリードでの学会の後、近郊の街トレドを訪問留学前に長澤浩平先生とヴォラナキス教授を訪問左から長澤先生、ヴォラナキス教授、塚本ローマでの学会の後、コンスタンティヌス凱旋門の前で米国留学時代同僚のケヴィン・メイコンと2023年9月九州リウマチ学会を主催2|RefreshMagazineOffTime2024.11990年九州大学病院第一内科の医員となり、2年後北九州市立医療センター内科に勤務し、当時無かった膠原病内科を立ち上げました。

アラバマ大学バーミンガム校留学レディファーストとアメフトの洗礼を受けるその頃定期的に研究室から補体研究“のため、アラバマ大学バーミンガム校に留学していて、1994年から2年間私はギリシャ人のヴォラナキス教授のもとで研究しました。妻と長男、長女、家族4人で渡米し、日本人が少ないため必然的に米国人との交流が多くなり、言語も含めて大変でしたが大いに勉強になりました。こどもが幼稚園に入ったこともあり、地域のイベントには数多く参加しました。特にレディファーストの徹底ぶりには刮目。九州男児たる私には吃驚することばかり(笑)。

またアラバマ州にはプロスポーツがなく、唯一アラバマ大学のアメフトが州民の誇りで、最近10年で3回ナンバーワンになり、今年は不甲斐ないが、私はずっとファンで、今もユーチューブで観て応援しています。

復学した大学院の准教授就任膠原病に対する造血幹細胞移植研究に携わる1998年5月に九州大学に戻り、2016年3月まで在籍しました。現在は福岡市民病院院長の堀内孝彦先生が当時研究室の主任をされていてお世話になりました。2013年には大学院医学研究院病態修復内科学の准教授になり、若い医師達とふれあいながら指導できた経験は貴重でしたね。

Off — オフのこと

また仁保教授の後任の原田実根教授は造血幹細胞移植の大家で、難治性膠原病に対する造血幹細胞移植を共に手掛けようということでトライし、その後先進医療に位置づけされました。

新小倉病院病院長就任コロナ禍を経て、新病院建て替えを計画2016年4月、国家公務員共済組合連合会新小倉病院に診療部長として着任しました。副院長を経て2020年4月病院長就任したのですが、新型コロナウイルス感染の嵐に巻き込まれ、行政からの依頼でコロナウィルスの遺伝子検査、翌年からは感染患者の入院治療を始めました。当初はそれ自体が風評被害に遭遇。

これからは高齢者に焦点を当てた急性期医療、例えば肺炎、尿路感染症、がん、リウマチや整形外科疾患の診療に注力したいと思っています。そのために病院機能のさらなる充実を図るべく施設の建て替えを計画しています。地域の人々や周辺のクリニックからの期待もあり、私の使命として実現したいと思っています。

日本・米国でゴルフ歴36年現在は精々月一回のラウンドゴルフはしますが、ラウンドは精々月一回です。医師になって2年目に九州厚生年金病院の上司に連れて行ってもらったのが最初です。

アラバマ大学留学中は、日本だと1ラウンドフィーがパブリックで2万円のところアラバマでは20ドル、当時日本円で2,000円、独りで行ってアラバマ訛りの現地の人と月に2︐3回ラウンドしましたね(笑)。

因みに学生時代していたサッカーは、今はとてもとても、30代で終わりました。

旅は学会絡みで各国学生時代はヨーロッパ巡り旅は学会絡みですね。専門のリウマチ学会で、九州大学勤務の頃は年1回のペースで、米国やロンドン、パリ、マドリード、ローマなどヨーロッパを巡りました。米国は米国内の異なる都市での開催でしたが、ヨーロッパは毎年異なる国での開催だったのでいろんな国に行けて愉しかったですね。だから私は途中からヨーロッパ派に(笑)。

読書は村上春樹と宮城谷昌光三國志をプライムビデオで全話クリア読書は好きで、村上春樹は殆ど読んでいますね。2010年発売の世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドは面白かった。それと宮城谷昌光の中国歴史モノは好きですね。

映画は自宅でプライムビデオのオンデマンドで三國志全話を3カ月かけて観ましたね。毎日1話のペースで(笑)。

余暇は読書とプライムビデオ鑑賞コロナ禍明けはゆったりゴルフをOff

病院長のOff Time

大学4年の時に九州山口の大会で優勝。最前列一番左が塚本、その後ろが藤先輩、最後列一番右が谷口先輩
大学4年の時に九州山口の大会で優勝。最前列一番左が塚本、その後ろが藤先輩、最後列一番右が谷口先輩
マドリードでの学会の後、近郊の街トレドを訪問
マドリードでの学会の後、近郊の街トレドを訪問
留学前に長澤浩平先生とヴォラナキス教授を訪問。左から長澤先生、ヴォラナキス教授、塚本
留学前に長澤浩平先生とヴォラナキス教授を訪問。左から長澤先生、ヴォラナキス教授、塚本

Related Articles