門司市に生まれ、福岡市中央区桜坂で警固小・警固中の平穏な少年時代を過ごし、修猷館高校から九州大学医学部に進学。九大病院先端医工学診療部などで研鑽を積み、医療と工学の融合分野でキャリアを重ねる。1999年の台湾大地震支援活動への参加、西日本看護医療大学の設立など、医療を多角的に支える活動を展開。現在は北九州古賀病院の院長として、さらなる慢性期医療の充実で地域の高齢者に安心と信頼を届ける。

On — 仕事のこと
父は私が9歳の時に亡くなり、女手一つで育ててくれた母も、百歳まで生きると豪語していましたが、残念ながら昨年98歳で亡くなりました。
それでも中学の時は、ブラスバンド部に入り、トランペットを吹いていましたが、そんなに熱心というほどではなく(笑)、発表のタイミングは文化祭や体育祭の時に校歌を演奏したりしていました。
修猷館高校の校風と尊父の死の記憶で医学部受験へ高校は修猷館高校で警固中からは約500名の3年生の内、10名程度の合格者。
当時はラサールが目立ち始めた頃で教育大付属中学は優秀で、合格者は約100名でした。
高校時代はいわゆる帰宅部で、波風の立たない凪の中に身を置いていました(笑)。
医学部受験の動機は、私が9歳の時に、父が虫垂炎で伯父が営む大宰府の病院に入院し、1週間もすれば元気で戻ってくる筈がそのまま息を引き取った。
当時の私の頭の上に疑問符がいっぱいになった強力な記憶と修猷館高校に漲る医学部受験モードと相俟って決意しました。
九州大学に入学し平安な6年間九州大学医学部に入学し、2年間六本松の教養部、4年間馬出に桜坂の自宅から通いました。
九州大学医学部第2外科入局井口潔教授に師事し大学院の田中健蔵教授の病理学教室へ医局は九州大学医学部第2外科で、井口潔教授に師事しました。
外科医と云えばスポーツマンタイプをイメージしますが、井口先生は学究肌の研究者タイプで、お茶の水大学で理学博士号も取得されるなど”自分の哲学をもって考える外科医“を提唱され実践されていました。
元々北九州、久留米地区は生活環境からのC型肝炎患者が多く、そのため肝硬変、肝がんなど肝不全で亡くなり、医局に入ると毎週土曜日は誰かが血を吐いて倒れる時代でした。
井口先生は、食道静脈瘤の”井口シャント“を考案し、血管吻合器を創ったり、自分で術式や機器を開発されるなど世界的に有名で、当時TVで外科医が主人公の”ベン・ケー・シー“や漫画ブラック・ジャックの現実の姿が、井口先生に重なりましたね。
井口先生の後押しで、大学院の第一病理学教室の田中健蔵教授(元九大総長)のもと、静脈瘤の”井口シャント“の仮説を証明すべく、肝硬変患者の胃壁微小血管構築の研究をしました。
初代救命救急センター長に就任久留米大学と連携しドクターヘリ活用平成10年6月九州大学医学部第2外科学講座助教授、平成11年2月同大学大学院先端医療医学部門災害救急医学分野教授、同大学病院先端医工学診療部・部長兼任を経て、水田祥代病院長の時平成18年8月同大学病院初代救命救急センター長に。
さらに指を数えても足りない程の先達恩人にも感謝し、日々の研鑚を欠かさず、これからも院長としての使命を果たしたいと重ねて語った。
また私が福岡救急医学会の会長をしていた際にはサポート体制の強化と平成22年にはマリンメッセ福岡で小学生から高齢者まで1335人を一堂に会して心肺蘇生術の訓練を実施するなど市民へのアプローチに注力しました。
結果として、福岡県が全国第一位の心肺蘇生術や社会復帰率に達したとの報せを受けた時は望外の喜びでしたね。
九州大学退官し北九州中央病院病院長就任平成30年3月に九大を退官し、6月に北九州中央病院の病院長に就任しました。
九大時代の急性期医療、先端医療の現場と慢性期医療の現場では患者さんの層は違うし、診療内容も違うことを認識しました。
令和2年北九州古賀病院病院長就任慢性期医療の理想を実現へ令和2年6月に北九州古賀病院の病院長に就任し、慢性期医療病院の特性として、圧倒的に高齢者が多く、認知症や介護のケアサポートの充実は急務であると思っています。
日々の診療の中で、高齢の患者さんはそれぞれの背景や価値観が異なり沢山の病気を持っていて、その介護や看護は非常に大変で、医療スタッフが忙しすぎる現実を痛感しています。
Off — オフのこと
難治性の病気など多様な患者さんに対応する看護師、介護士不足は如何ともし難い。
慢性期医療のその先にある患者さんの最後の人生を悔いなくサポートするには如何すれば。
さらなる高齢化社会に対応すべく西日本看護医療大学設置準備これからのさらなる高齢化、特に福岡・北九州地区は政令都市の中でも顕著です。
病気がそれこそ多岐に渡っていて、看護も新しく取り入れなければならないスキルがあり、そこで留意しなければならないこと。
北九州病院グループが擁している急性期と慢性期総病床数は4268床。
それ以外に老健施設や健診施設、訪問看護などすべきことが沢山あり、さらに仕事が増えています。
そのために専門的な看護学を身につけることは勿論、患者さんの人間としての尊厳を尊重する心、深い思いやりの心を持つことがなにより大切です。
患者さんに信頼され高度な資質をもった看護師を育てる使命をもって、令和8年4月に開校すべく”西日本看護医療大学“を設置準備しています。
私も、気概に燃える専門スタッフと共に健康科学の発展と地域医療や社会福祉に貢献したいと決意を新たにしています。
海外は学会でひとり旅国内旅行は奥様と一緒に旅行は好きで、皮膚科クリニックを開業している妻とタイミングが合えば、近場の阿蘇や長崎、山口方面はドライブがてら美味しい料理を探して行きます。
直近ではゴールデンウィークに日光に行き、東照宮を散策しましたが、あまりの観光客の多さに驚きました。
海外は学会でアメリカ、ヨーロッパが殆どですが、アジアは専門学会の会長をしていた関係で、中国、韓国、東南アジア、シンガポール、特にタイはロボットの遠隔手術で、ある時期は頻繁に行ってましたね。



