社会医療法人共愛会 戸畑共立病院の今村鉄男院長。各診療科の連携と高度な医療を追求し、地域に信頼される病院づくりに尽力する。

On — 仕事のこと
当時校庭は放課後、休日と開放されていて、ソフトボールから軟式野球まで、クラスメイトや近所の仲間と土埃に塗れて興じていた憶えがあります。
第1回東京オリンピックの日紡貝塚、東洋の魔女の金メダルに触発されバレーボール部に入部。
丁度6人制になったバレーボール部に入部し、セッターで頑張りました。
男子校だった所為か、文化祭、体育祭は派手だった感じではなかったかと記憶しています。
その頃、私といえば専らバレーボール中心の生活を送っており世の中の変化にはあまり興味がありませんでした。
当時は部活で夜7時に帰宅し、就寝まで勉強という無色の高校生活でした(笑)。
久留米大学医学部入学冷めやらぬバレーボール愛医学部受験のキッカケは、両親から強く勧められたことですね。
そして久留米大学医学部に入学し、当たり前のように医学部のバレーボール部に入部しました(笑)。
特に「西医体」では1年生の時に優勝し、以後3位、優勝、準優勝が3回と、薔薇色のバレーボール人生(笑)。
祝杯の酒が苦手でしたが、そのうち後輩を引き連れて、夜の帳が下りたら”さぁ行くぞと“久留米の街を闊歩(笑)。
生意気にもサントリーの”ダルマ“ボトルばかり呑んでいましたね。
Off — オフのこと
その頃の呑み友達は、元久留米大学内科教授の池田久雄先生、若松で外科開業医の村上吉博先生で、共に勉学にも励みました。
1978年3月久留米大学医学部卒業同年久留米大学病院第2外科入局医局は久留米大学病院第2外科に進み、膵臓手術で全国的に有名な古賀道弘教授に師事し、徹底的に鍛えられ、肝胆膵外科に所属したことで当時の中山和道助教授の指導により”閉塞性黄疸“を研究しました。
バレー部にスカウトされたのも第2外科に勧誘したのも、当時バレーボール部の最上級生であった、現在は戸畑共立病院の下河辺智久理事長です。
この不思議な縁は、私の医師人生最大のバックボーンとなります。
第2外科で研究研鑚に励み、北九州の病院への出張など経験を積み、1987年戸畑共立病院外科に勤務することになりました。
Onスタッフ一同患者様に寄り添ったハートフル医療を語る今村鉄男院長博多っ子の「人情」とそれを活かしたリーダーシップを発揮久留米大学医学部を1978年3月卒業し、その4月に久留米大学病院の第2外科に入局し、当時の古賀道弘教授に師事し、肝胆膵外科で中山和道助教授の指導を受けるなど、恩師に恵まれ、成長できた。
そして、現在に至るまで地域住民が安心・安全な生活が過ごせるような診療・組織づくりをおこなってきた。



