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久留米大学病院 副院長・看護部長 國武 栄子

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24時間添う看護師パワーで
さらなる患者さん中心の医療を

久留米っ子看護師人生は
“和を以て貴しとなす””

 

 久留米生まれで久留米育ち、久留米大学医学部附属看護専門学校から久留米大学病院第2外科勤務6年。異動した中央手術部で手術看護師12年。すべての診療科手術に対応すべく知識・技術の厳しい習得の毎日に耐えかねて退職を考えたこともあると國武副院長。それでも座右の銘“和を以て貴しとなす”と数多の先輩、同僚に支えられて現在の私があると語り、これからはさらに患者さんにしっかり寄り添った医療サポートに尽くすと双眼に力を込めた。

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患者さんに寄り添った安全で思いやりのある看護を目指すと語る國武副院長


久留米生まれの久留米育ちバスケットボールと読書好きの少女時代

生まれたのは久留米市草野町。ごく普通の一般家庭で、特に親戚に医師や看護師はいませんでしたね。幼少時にナースに憧れたこともなかったので、現在看護師を生業としているのは不思議です(笑)。
小学校は久留米市立草野小学校。目立たない普通の小学生でした。中学校は久留米市立屏水中学校。バスケットボール部で3年汗を流しましたがレギュラーになれず万年補欠(笑)。それでもめげず、明朗な読書少女で、夏目漱石や川端康成など日本の純文学の世界で遊んでいました。その先に村上春樹があり、高校生の頃に出会い、ハルキストの末席に(笑)。

明善高校で天文部、伝統の大運動会で黄組、紅組で企画担当

 高校は県立明善高校に進み、天文部に入部。天文学に特別な思い入れはなかったのですが何となく楽しそうだからという理由で(笑)。
明善と言えば伝統の大運動会。隔年に開催される花形の伝統行事で、その精神はスパルタそのもので、健気に活動する応援団の男子は女子生徒からの憧れでしたね。私は、1年生の時は黄組〈キナグミ〉、3年生の時は紅組〈アカグミ〉で企画サポートで頑張りました。貴重な青春の一コマです。

久留米大学医学部附属看護専門学校入学、過酷な実習と課題クリアの日々

 進学校だった明善高校を卒業する時、大学進学も考えたのですが、母が医療事務をしていた関係で看護師さん達との接点が多かったせいもあり、手に職をという意識も芽生え、1982年4月1日久留米大学医学部附属看護専門学校に入学しました。1985年3月に卒業するまで、過酷な日々が続き、朝まで勉強した後の実習で先輩の厳しい指導を受け、懸命にひとつひとつ課題をクリア。その後の仲間との”いっぱい“が何とも言えない(笑)。

久留米大学病院第2外科で6年半勤務、中央手術部で手術看護師12年

 1985年4月1日、久留米大学病院に入職し、第2外科病棟に6年半勤務しました。そこで看護師としての経験を積み、ほぼ一通りのことはこなせるようになった頃、1991年10月に中央手術部への勤務異動を命ぜられました。そこでは年間8000例近くの手術が行われ、医師と違い、看護師は全ての診療科の手術につくことが求められます。その為の知識・技術を習得する必要があり、毎日毎日新しい手術手順を覚えても、なかなか身につかず、退職を考えたことも何度かありました。
手術室の看護師は、手術を受ける患者さんの一番近くにいる存在です。不安でいっぱいの患者さんに声をかけたり、手を握ったりすることで、血圧や脈拍がスッと落ち着いたりします。それが何より看護の本質のように思えました。手術室看護師と言えばメスを渡すシーンが目に浮かびますが、このような大事な役割も担っています。このことが長く手術看護師を続けられた理由だと思います。
さらに、数多くの同僚看護師の支えもあり、何とか続けることができました。感謝です。その頃の同僚とは今でも集まって食事をしたりしています。また在籍30周年を記念して、同期8名と沖縄に旅行に行きました。感慨深い愉しい旅行でした(笑)。

副看護部長で教育責任者となり新人指導、パートナーシップ・ナーシングシステム導入

 看護師長2年を経験したところで副看護師長を命ぜられました。やっと看護師長になれた頃なので、とても私には務まらないと思いましたが、当時の看護部長の強い勧めもあり、副看護部長に就任しました。 久留米大学看護部の教育責任者となり、痛切に責任の重さを感じました。その当時、新人看護師の離職率が急激に高くなり、2014年には13・5%と全国平均を大きく上回っていました。指導者は新人に教えるべき技術を自らが学ぶ機会が十分あるわけではなく、そのことが新人看護師と指導者双方に負担になっていました。  そこで、全職員で新人看護師を育成する体制を目指し、パートナーシップ・ナーシングシステムに変更し、教育体制を大きく見直しました。その結果、2016年には新人看護師離職率は8・8%にまで下げることができ、毎年3月に行われる新人看護師の「一年を振り返って」の研修では、沢山の成長した姿が報告されます。教育担当副看護部長としてその日を迎えられることがとても嬉しく大きな喜びでした(笑)。

2020年新型コロナウイルス感染拡大 院内クラスター拡大も スタッフ全員パワーで乗り切る

 2020年新型コロナウイルス感染拡大により、現行の看護体制では対応しきれない状況が次々と発生し、感染症拡大に伴う、病床の閉鎖、感染症病棟への変更、新しい業務(PCR、ワクチン、発熱外来等)への対応など急激な変化を求められました。その状況の中、感染症患者さんへの対応と急性期医療を必要とする患者さんを受け入れる体制を両立させる必がありました。      初めてコロナ患者さん受け入れた時は、看護師はじめ職員の教育が十分に行き届かず、大変な思いをしました。マスクやガウンなどの防護具も不足し、このような状況で、本当に患者さんを受け入れていいのかと悩みました。ぎりぎりに寄付頂いたマスクが届いた時には思わず涙が出ました。  看護部長就任直後の2022年4月には久留米大学病院で初めての院内クラスターが発生し、その後も沢山の部署で発生が続き、このまま収束しないのではと思えた日もありました。第7波では看護職員が1日に70名近く就業制限となり厳しい状況が続きました。そんなコロナ禍の中、WEB会議を活用し、対話の促進と情報共有に努め、看護師たちが”お互いさま“の気持ちでリリーフに柔軟に協力してくれました。コロナの波は予想を超える大波でしたが、スタッフ全員の協力の下で乗り越えることができました。

2022年看護部長・副院長就任 患者さん中心の医療実現に寄与

 看護師は病院職員数の半数を占めており、病院の意思決定や方針を周知し、組織として最大限の効果を発揮するための適切なサポート役が、看護部長である副院長の役割と考えます。そして何より、24時間患者さんの傍で看護を提供する看護部門が病院運営に参画することで、患者さん中心の医療の実現に寄与できると考えます。 最先端の医療それだけが必ずしも患者さんにとって最善であるとは限りません。当院看護部の理念である「患者さんの人権と意思を尊重し、安全で思いやりのある看護の提供」を、さらにしっかりと目指していきたいと思います。


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