RefreshMagazineOffTime2024.9|1巡り合った恩師への感謝を忘れず小児から大人まで真心の医療貢献を理学部か医学部か、進路で悩んだ高校3年生の𠮷田少年は迷った末に医学部を選び九州大学に入学。医局は重松信昭教授の九州大学医学部附属胸部疾患研究施設(呼吸器科)。2年目の研修で勤務した九州厚生年金病院でしっかり医療の基本を叩き込まれ、九州大学医学部大学院では伊東祐之教授、伊藤猛雄講師の指導を受け、留学先のカナダのマクマスター大学呼吸器研究部門のポール・オバーン教授には公私ともに世話になり幸福だったと笑顔の𠮷田院長。そして福岡病院院長就任から6年目。専門領域のさらなる充実と進化の必要性を語る𠮷田院長の眼光は鋭かった。

On — 仕事のこと
気象予報士に憧れて福岡管区気象台見学左利き矯正のための書道父が勤務していた九大の胸部疾患研究施設があった生の松原、国道202号線を挟んだ向かい側の家で生まれました。3歳の時に、父が米国フィラデルフィアのアルバート・アインシュタイン・メディカルセンターに留学。母と姉と共に2年間滞在し、その後帰国。
小学生の頃は、今でいう気象予報士になりたくて、夏休み、父に福岡管区気象台に連れて行ってもらったことがあります。
職員の皆さんの歓待を受け、観測装置を見せてもらったり、帰りには天気図用の白地図の束をドッサリ頂いたりしたことを覚えています(笑)。
また左利き矯正のための書道をしていましたが、中学進学前に初段を目前にしながら辞めてしまい、結局左利きも治りませんでした(笑)。
福岡教育大学附属福岡中学校でフルートに出会う修猷館高校吹奏楽部で九州大会出場中学校は福岡教育大学附属福岡中学校。
何か楽器がやりたくフルートを九州交響楽団の先生に習い始めました。中学校は西公園、フルートのレッスンでは姪浜までバスで通いました。当時自宅が野芥にあったので、大変でしたが愉しかったですね(笑)。
修猷館高校に進学し、入学式の次の日には早速吹奏楽部に入部(笑)。3年間ドップリと(笑)。体育祭名物﹁応コン﹂のパネルパフォーマンスに憧れていましたが、結局3年間ピッコロで伴奏をさせられました(笑)。福岡は吹奏楽コンクールの激戦区で、3校しか選ばれない九州大会代表校選考を勝ち取ったときは欣喜雀躍、しかも私がフルートパートのトップで(笑)。大会本番はかなり緊張しましたが素晴らしい想い出ですね。
Off — オフのこと
九州大学医学部入学マンドリンオーケストラでフルート三昧高校3年生の夏休みまで、有機化学にも興味があり、京都大学の理学部か九州大学の医学部かの二択で迷っていたのですが、父の”医学部は医師になる道と研究者になる道の両方があるが、理学部は研究者だけ“というアドバイスもあり、医学部受験を決めました。
九州大学医学部に入学して、オーケストラに入部したけれどフルート奏者が多すぎて退部。高校の先輩の紹介でマンドリンオーケストラの定期演奏会にアルバイトのフルート奏者として2年間参助出演し、その後正式に入部(笑)。4年間活動しました。高校時代に中断していた個人レッスンも再開。演奏技術が向上し、レパートリーも増えました。
九州大学附属病院呼吸器科入局九州厚生年金病院で充実の研修ライフ医局は九州大学医学部附属病院胸部疾患研究施設(呼吸器科)。1年目は大学病院で研修、2年目は九州厚生年金病院(現JCHO九州病院)に同期の松元幸一郎先生(現福岡歯科大学呼吸器内科教授)と勤務しました。研修医ながら内科当直も任され、気管支鏡検査も年間300例以上。
3年目の新日本製鐵八幡製鉄所病院(現八幡記念病院)でも、病理解剖数の最多記録(13例)で表彰されるなど、懸命に働きました。北九州での2年間で基本を徹底的に叩き込まれましたね。この時の経験が今でも私の医師としての確かな基礎になっています。On全スタッフのパワーを結集して専門領域のさらなる進化をと語る𠮷田院長
院長のOff Time









