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OffTim12月号 インタビュー 社会医療法人北九州病院 北九州総合病院 院長 永田 直幹

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地域の人々へしっかり貢献
24時間365日対応の救命救急

心身を貫く“チャレンジ精神”
ロボット支援下手術をさらなる高みへ

  “いつまでも若く、新しいことにチャレンジする”というのが永田院長のポリシー。だから米国のアセンサスサージカルジャパン(イタリアソフィ社開発)のロボットを採用し、日本で2019年にすべての疾患医療がOKになったことで、2020年にロボット手術を開始し既に300例を超えているという。入局当時の産業医科大の大里敬一先生、藤本淳先生、伊藤英明先生、東大名誉教授の山田英智先生、北九州総合病院の前理事長重松昭生先生、現理事長の佐多竹良先生と恩人の名前は枚挙にいとまがないと語る永田院長。“感謝”の2文字はいつも胸中にあるという。

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さらなるスキルアップで地域貢献をと語る永田院長

祖父も父上も医師という環境の中、永田少年はスポーツ三昧の日々

  父は九大出身の外科医で下関の病院に勤めていたので、生まれは下関です。私が2歳の時に父は国内留学の形で東大の外科に行き、その1年半後徳島大学に移り、そこの徳島大学付属小学校に小学2年生まで通っていました。
 その後父が九州厚生年金病院(現JCHO九州病院)に外科部長として着任したことで、黒崎に住み、私は黒崎小学校、小倉付属中学校、小倉高校に通いました。もともと運動は好きで地域のチームでソフトボールや野球など仲間と楽しみ、中学では弱小ながら立ち上げた剣道部で竹刀を振っていました。
 高校時代は中山律子などスター選手に影響されボーリングにはまり小倉セントラル他いくつかのボーリング場で、マイボール、マイシューズで、ジュニアの大会にも出場していましたね。そんな風でしたから気がつけば何となく高校卒業(笑)。これではいけないと思い医学部を目指して遅ればせながら受験勉強に精を出しました。医者であった祖父と父を身近に見て感じていた所為でしょうね。

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附属小倉中学の剣道部

医学部入学、サッカー部はスパルタ鍛錬で、2部から1部へ 

 
 紆余曲折ありましたが、獨協医科大学に入学。医学部のサッカー部に入り、36チームあった“関東医歯薬科リーグ”の大会で2部から1部に昇格するなど頑張っていました。監督は順天堂大学医学部出身の全日本のチームドクターをされていた先生で指導はスパルタで、強くなりましたが、その反面とてもきつかった思いがあります。試合の後の打ち上げは大いに飲み食べて楽しかったです。OB会もこのコロナ禍なかなか行けませんが、未だに繋がっています。 

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大学時代のサッカーの試合

産業医科大学黎明期の第一外科入局、第二解剖学教室助手で電子顕微鏡操作

 
 無事6年で卒業して、産業医科大学第1外科に入局し初代教授の大里敬一先生、九大1外科の後輩で下関時代に父の部下であった准教授の大熊隆介先生に師事しました。
 当時の院長が九大第一外科出身の西村正也先生で、まだ産業医科大学卒業生がいない時期で、何だかスカウトされた感じでした。同期は二人で極めて多忙でしたが良い意味で濃密な時間を過ごし、3年目に三菱化成病院にひとり部長として出向。
 4年目に大学院へ進もうと大里先生にある日の朝相談するとその日の夕方に呼ばれて“決まったよ”と、第二解剖学教室(組織学)の助手になり、また外科の併任にもなり早朝から患者さんを診て、藤本淳教授の助手として講義のお手伝いをして夕方からまた患者さんを診るといった生活で土日もなく大変でしたが、教室では電子顕微鏡の操作方法や組織学と論文の指導を受け、外科とは違う世界を知り有益でした。
 その後、九大出身で東大名誉教授の山田英智先生が福大の組織の教授をされていて、私にそのお手伝いをと白羽の矢。山田先生はイエール大で半年教鞭を執られていて、渡米されるタイミングで一緒に行こうとのお誘いがあり嬉しかったことを思い出します。

イエール大学留学時に腹腔鏡手術を知る、バージニア大学でCertification取得、産業医科大学第一外科で腹腔鏡下手術開始

 
 1989年の4月から、妻と3才の娘と3人でアメリカへ。2年目に次女が生まれ、出産に立ち会えたことが大きな出来事でした。1991年に帰国する前年に運が良いことに“腹腔鏡下手術”が始まり、産業医科大学第一外科の伊藤英明先生から示唆もあり、“バージニア大学”のDrシャーマンの知遇を得てトレーニングを受けCertificationを取得。これが私の腹腔鏡手術の原点です。
 帰国して1991年10月から産業医科大第一外科で“腹腔鏡下手術”を開始しました。当初はデバイスが少なく、鉗子も種類が少なく、画像はブラウン管のTVだったので苦労しました。ただ、術後の患者さんの状態が開腹の時と比べて格段優れていたので苦労した甲斐がありました。
 その後、大里先生が産業医科大病院の院長、伊藤先生が教授に就任されるタイミングで私が准教授になり、腹腔鏡手術、電子顕微鏡を用いた免疫染色の研究を続けていました。その矢先2006年に伊藤先生が在任中に病魔に侵され逝去され、教授不在の2年間の大変な時代がなんとか落ち着いた2008年12月に今の北九州総合病院に異動しました。

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イエール大学の研究室
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イエール大学医学部の正門

2010年北九州総合病院院長就任、2016年病院新築後、2020年ロボット手術開始

 
 産業医大の学長から北九州総合病院の理事長・院長になられた重松昭生先生から招聘され、その2年後の2010年にバトンタッチされ、院長に就任しました。業績アップを図りながら城野地区開発の目玉として2016年、本院をJR城野駅と陸橋でつなげた利便性の良い現在の地に新病院を移転しました。特に私の希望で全室無料個室で最新の機器を備えています。
 さらに特記すべきは2020年2月に新しいロボットシステムを導入することになり、コロナ感染直前にイタリアのミラノでセンハンス・デジタル・ラパロシステムというロボットのトレーニングを受け、その術者認定の資格を取得し、2020年2月17日からロボット手術を開始しました。現在私が行うすべての疾患に対してロボット手術を行い、今年の11月2日で300例を達成し、日本で一番症例数が多い施設となりました。

三次救急に注力して、地域に開かれた医療を

 
 これからは地域貢献。北九州では八幡市立病院と当院しかありませんが、救命救急センターの機能を充実させフルに活用。年間に5000台以上の救急車に対応すべく、特に三次救急に注力します。また地域に開かれた医療のため、開業医の先生方との連携をスムーズにし、急性期医療の保持。
 さらに24時間365日対応で、小児救急、脳神経外科もホットラインでOK。そのためにはそれぞれのポジションでのスタッフのスキルアップは欠かせません。コロナ禍であっても、さらなるクオリティ向上を図ります。

◆社会医療法人北九州病院 北九州総合病院

住  所/北九州市小倉北区東城野町1番1号
T E L/093-921-0560
院   長 / 永田 直幹
診療内容/内科、小児科、外科、整形外科、形成外科、脳神経外科、 泌尿器科、産婦人科、耳鼻咽喉・頭頸部外科、放射線科、麻酔科、救急科、病理診断科
受付時間/平日 8:30~11:00 午後は予約診療
休 診 日 /土・日曜日・祝日、年末年始
H  P / https://www.kyushuh.johas.go.jp

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