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OffTim1月号 インタビュー 久留米大学病院 病院長 志波 直人

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人と地球にやさしい
命を慈しむ医療を目指す

バイオメカニクス研究から
ハイブリッド・トレーニング・システムへ
さらに先進医療の実践を

  久留米大学医学部整形外科学講座で井上明生教授のもとバイオメカニクス研究に着手し、指導を受けていた井手隆俊先生のすすめで米国Mayo Clinicに留学。そこでChao教授と宇宙に親近感を抱くきっかけを与えてくれたBasford教授は、後に宇宙ステーションに搭載される特許取得の“ハイブリッド・トレーニング・システム”(HTS)に繋がる志波病院長の恩師である。その他公私共数多の恩人のおかげで現在があり、その恩に報いるために真摯にさらなる研鑽を続けると、志波病院長は語った。

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医療改革にしっかり取り組むと熱く語る志波病院長

整形外科医で剣道5段の父上、中学時代は剣道部、高校時代は勉強優先

  長崎大学教育学部そばの長崎市大橋町の母の実家で生まれました。父が長崎大学医学部整形外科の医師で、同大学で勤務していた母と結婚した経緯で(笑)、父は医局の人事で高知県に行き、帰ってきて、私が小学4年生の時に諫早で開業しました。
 小学校は市立御館山小学校、中学校は北諫早中学そして諫早高校に進学しました。小学生の頃からスイミングクラブに通い、父が海軍兵学校出身で剣道5段だったことで自然に竹刀を握り(笑)、中学3年間は剣道部で市の大会で入賞する程度でしたが、真夏の酷暑の中、汗だくで頑張りました。高校時代は勉強優先で、テニスを1年、剣道を1年とかじる程度でしたね。

祖父君と父上の影響で高校時代はエンジニアに憧れる

 
 祖父が京都大学工学部に勤務しており、生前聞いたところ、戦時は潜水艦のモーターなどを作っていて、父も京都の舞鶴の海軍機関学校(後の海軍兵学校舞鶴分校)でエンジニア志望だったのが終戦になり、佐高(現佐賀大学)に入り、長崎大で第1期の整形外科を専攻。
 そういった祖父、父の影響なのか、私も高校生の頃は“本田宗一郎”の伝記を愛読するなどエンジニアに憧れていましたが、その頃の私を取り巻く風の流れで(笑)、医学部を受験しました。

久留米大学医学部入学、自動車部入部、この時期に無二の親友の知遇を得る

 
 久留米大学医学部に入学し、バレー部に入りましたが、ほどなくしてラリーなど盛んに活動している“自動車部”に移り、運転はしませんが(笑)、メカニックや構造には詳しくなりました。車を購入する際はスペックを見て、その内容がよく判ります(笑)。
 同期に現在小児外科と医療安全専任医師の田中芳明教授が居るのですが、彼は無二の親友で、学年毎の進級試験はもちろん国家試験など一年生の頃から一緒に勉強をしました。卒業旅行は沖縄の久米島で愉快な時間を過ごしました。
 

整形外科入局しバイオメカニクス研究、NASA国際宇宙ステーションで実験開始、2018年”第62回宇宙科学連合会議“で一段落

 
 卒業して整形外科に入局し、2年目に大阪大学から井上明生教授が着任され、“股関節”がご専門でしたので、6年目に私が博士号取得に何をテーマにするかという際、興味があったので股関節のバイオメカニクスを選びました。
 当時、コンピューターシミュレーションが出始めの頃で、それを駆使して、動物実験はせずにデスクワークでの研究の道を進みました。その時期指導を受けていた井手先生が行かれていた米国のMayo Clinic整形外科バイオメカニクス研究室に1991年6月から1年間留学しました。世界各国から勉強しに来ている中、Chao教授にご指導いただき、振り返れば濃密な1年でしたね。またその頃Mayo Clinicに世界の有人宇宙計画の創成記の展示物があり、リハビリテーション科のBasford教授から月の砂の結晶のスライドを頂き、宇宙に対して親近感を抱いたのを覚えています。
 2001年に私の研究計画書が現在のJAXAで認められ、翌年から特許を取得した“ハイブリッド トレーニング システム”(HTS)による実験を開始し、南極昭和基地での実験でデータも取りました。その後準備に5年費やし国際宇宙ステーション実験主任研究者として、実際の宇宙空間で、“HTS”の貴重なデータを、若田光一宇宙飛行士の協力を得て集めることが出来ました。
 2015年にフロリダのディズニーワールドで開催された米国の宇宙航空環境医学会で研究成果を報告し、同年にパナソニックとライセンス契約したトレーニング装置が市販されました。
 2017年の第63回日本宇宙航空環境医学会の主催と、翌2018年の第62回宇宙科学連合会議でのセッション企画と若田宇宙飛行士の特別講演は、ともに久留米市で開催し、一段落。

昭和基地での実験
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米国留学時に貰った”ベルリンの壁の欠片“はクライシスマネージメントのシンボル、宇宙ステーション搭載のHTSの今後に期待

 
 米国留学時に研究室で机を並べていたジョージ・デューダと30年後の2019年ドイツ整形災害外科学会の会長招宴で再会しました。当時、20歳代だった彼はベルリン工科大学の教授になっていました。米国留学時はベルリンの壁が崩壊した直後で、彼と別れるときにベルリンの壁の欠片を貰いました。
 宇宙の仕事は戦争と戦争の間の平和のイメージ、現在のロシアによるウクライナ侵略、8波に及ぶコロナ禍の中、そのベルリンの壁の欠片はクライシスマネージメントを想起させるシンボルとして、いつも私の傍らにありますね。そして、研究開発した特許製品である“HTS”が宇宙ステーションに搭載されたのは感無量。これからは後輩たちがしっかり引き継いでくれるでしょう。

2013.9.8~12, 2014.5.24 Houston NASA Johnson Space Cente
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2020年久留米大学病院長就任、コロナ禍での医療改革は文字通り”正念場“

 
 2020年4月に病院長に就任し、3つの医療改革に取り組んでいます。地域医療構想、医師の偏在対策、働き方対策ですが、このコロナ禍、残念ながらスピードが鈍化しています。まずは院内感染防止はじめスタッフの健康管理。でなければ患者さんに対しての医療に支障をきたしてしまいます。毎日毎日が地域医療を守るための試練の連続で頭が痛い。まさにクライシスマネージメント。国の基準を参考にしながら、特定機能病院の大学病院として実践する現在は正念場です。

エリソン オニヅカ宇宙飛行士
1986年1月28日チャレンジャー号事故で殉職 父方の地元である久留米近郊の浮羽町のオニヅカ飛行士を記念した橋
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200.1.28 Research results on STS-95 NIH Bild. 10
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1996年竣工

志波病院長の奇跡の数字1と28

 
 病院長がたまに通る久留米浮羽のエリソン・オニヅカ橋に刻まれた“鬼塚”は、1986年1月28日のチャレンジャー号爆発で殉職した鬼塚宇宙飛行士の名を残したもの。2000年1月28日に病院長がNASAに行き向井宇宙飛行士に会う。そしてこの日、特許を取得している。さて、この数字は何の因果を持つものか。

◆久留米大学病院

住  所/久留米市旭町67番地
T E L/0942-35-3311
院   長 / 志波 直人
診療内容/内科総合外来、神経内科、精神神経科、腎臓内科、血液 腫瘍内科、小児科、眼科、皮膚科、泌尿器科、産科、婦人科、膠原病外来、遺伝外来、ものわすれ外来、海外旅行 ワクチン外来、感染抑制科外来、放射線科外来、一般外科総合外来、乳腺外科、小児外科、耳鼻咽喉科 頭頸部外科、脳神経外科、整形外科、形成外科、顎顔面外科、麻酔科
受付時間/月曜日~金曜日 初診 8:15~11:00 再診 8:00~11:00
診療時間/月曜日~金曜日 8:30~17:00(診療科によって異なります)
休 診 日 /土・日・祝日、年末年始、お盆
H  P / https://www.hosp.kurume-u.ac.jp

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