
Top Interview| Off |
ドビュッシーはビッグバン さらに拡がる島松院長の世界
中学2年生の頃にソノシートで聴いた〝ドビュッシー″は、島松和正院長にとっては、まるでビッグバンのようである。宇宙が膨大し続けるように、島松院長は音楽、文学とその精神世界を拡大している。ノンフィクション作品のペンネームは本名、フィクション作品のそれは〝縁田 新″。これからは〝縁田 新″の作品が増えそうだ。
ソノシートの音楽全集で出会った ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」
中学2年生の頃、父が買ってくれたソノシートの音楽全集に収録されていた、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」。ピアノ曲を、戦後天才少女バイオリニストといわれた諏訪根自子の演奏で聴いた私は衝撃を受けました。それまで聴いていたモーツァルトやシューベルトとは違う、浮遊感とでも言うべき調べに魅了され、そして私の音楽の世界が拡がりました。大学時代に聴いた、アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノバの名曲「イパネマの娘」が、サンバのリズムにドビュッシーの〝音″をのせたものだと気付いて以来、マイルス・デイヴィスやガーシュインやビートルズも、すべての音楽は、ドビュッシーが〝調性の鳥籠を開いた″結果だと、私は確信しています。音楽だけでなく、私の芸術鑑賞はドビュッシーからはじまっていると言っても過言ではないでしょう。
多忙の中、ひとときの読書
蟄居状態から生まれた作品群
開業して5年程経った頃、当時は医院の3階に住んでいて、透析診療のこともあり外出もままならない蟄居状態にありました。この機会に、かねてより興味があったドビュッシーに関するエッセイ「『沈める寺』への誘い」より執筆活動を始めました。いままでに4冊程刊行していますが、(注:作品写真参照)、これからはもっとフィクションにも挑戦したいと思っています。学会を兼ねて、娘夫婦が住んでいることもあり、パリには時折行きますが、音楽と文学の深訪旅行は至福そのもの。そういえば、昨年の8月
22日(ドビュッシーの誕生日)にドビュッシー氏への出版報告も兼ねて、娘が私の代りにパッシー地区にある墓前に花束を手向けてくれました。嬉しい限りですね。
22日(ドビュッシーの誕生日)にドビュッシー氏への出版報告も兼ねて、娘が私の代りにパッシー地区にある墓前に花束を手向けてくれました。嬉しい限りですね。
ドビュッシーの墓前に花束を
執筆活動
「沈める寺」への誘い 島松 和正 著
ベルガマスク 縁田 新 著
たぬさんの領分 縁田 新 著
ドビュッシー 香りたつ音楽 島松 和正 著
この記事へのコメントはありません。