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OffTime11月号 インタビュー 医療法人 至誠会 島松内科医院 院長 島松 和正

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笑顔で届けよう
スタッフの熱い想い。

九大第2内科で培ったスキルで
クライアントに確立した
スタンダードな医療を

 ニュートンやアインシュタインに憧れた理論物理学大好き少年が、父親の背中のパワーに影響されて医師への道を選択。そして九州大学医学部第2内科で、島松和正院長は、後の医師人生を決定づける3人の恩師に出会う。主任教授の尾前照雄教授と腎臓研究室の藤見惺先生、小野山薫先生。とりわけ藤見先生の厚い薫陶を受け、今でも尊敬の的であるという。そうして培われた医療への姿勢は、患者をクライアントと呼称し、セカンドオピニオンのチャンスを設けるなど、常に社会復帰の支援をサポートしている。

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クライアントには現役で社会復帰をと熱く語る島松院長

理論物理学大好き少年が医師への道へ

 二日市小学校、二日市中学校、筑紫ヶ丘高校そして九州大学医学部に進むのですが、実は中学校の頃からニュートンやアインシュタインの理論物理学が好きで、宇宙の構造をイメージするなど天文学に憧れていました。大学進学を決める際に、父から〝お前のやりたい学問は九州では無理だろう″と言われ、私の意識下でも、父母の元ずっと地元で育ったせいで、関門海峡を渡ることに抵抗がありましたね。そこで第2志望というわけではないのですが、50年間、医師として済生会系列の病院に勤務し、最後は済生会二日市病院院長として定年を迎え他界する97歳まで現役開業医であった父に影響されて、医師への道を選択しました。ふと理論物理学の学究の道へ進んでいたらと想うこともありましたが、現在は医師で良かったと思っています。それこそ物理学は私のオフタイムの楽しみのひとつとなりました。10年程前のNHKの番組で宇宙飛行士の若田さんがインタビューしていたハーバード大学の理論物理学者リサ・ランドール博士の多次元宇宙論と重力波の話。アインシュタインが100年前に予言した重力波が最近、アメリカで観測されたニュースなどに接すると、いまでも中学生の頃のようにワクワクします。

恩師に恵まれた九大医学部時代

 九州大学医学部第2内科の恩師は第2内科科長の尾前照雄教授ですが、当時糖尿病医にと思っていた私に、強烈なインパクトで腎臓内科医を選択させたのは、米国の内科専門医と腎臓内科専門医を取得し帰国されたパイオニア的存在の藤見惺先生です。腎臓研究室主任だった藤見先生には臨床を、同研究室の小野山薫先生には研究のノウハウを学びました。藤見先生は、今だに40数年来変わらず私の師匠です。

腎臓内科の10年 そしてアメリカ学究の日々

 九大から外へ出たのは、藤見先生が腎センターを福岡赤十字病院とタイアップして創設されるときのことで、斥候役として9カ月勤務したのが最初です。藤見先生と入れ替るように、福岡赤十字病院から九大に戻り、腎臓内科の弟子として責任を果たすべく、徹底的に臨床に携わり、患者さんの診療、透析の毎日。10年ほどして、かねてよりの夢でもあった研究者としての海外生活にと、ヨーロッパの2カ所の研究室にアプライしようとしていた矢先のこと。尾前教授から小野山先生を通じて、米国のクリーブランドクリニックに行ってみないかとお勧めがあり、有り難くお受けしました。

巨大病院クリーブランドクリニック 九大講師から開業へ

 渡米して着任したオハイオ州のクリーブランドクリニックは巨大な病院で、市の人口が30万人なのに病院スタッフは当時8千人、おそらく現在は2万数千人でしょう。お陰さまで2年間の充実した研究生活を終えて帰国することができました。帰国後、福岡赤十字病院に勤務し、九大で講師をした後、開業していた父が元気な内に一緒に仕事をしたいと、一九九〇年に父の許へ戻りました。今年で27年目になります。

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温かい笑顔の島松院長

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