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OffTime5月号 インタビュー 独立行政法人 国立病院機構 九州医療センター 病院長 森田 茂樹

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スタッフ全員ベストを尽くし
最高水準の医療を目指す

専門分野のレベルアップと
束ねた医師・スタッフの総合力で
患者さんに寄り添った最適な医療を

 心臓外科医としての腕を磨くためにアメリカへ留学。人々との出会いの中から思いがけず移植外科医の道へ。帰国後は九州で最初の心臓移植を成功させた。いろいろなアメリカを当事者として体験したことや佐賀大学での教授・病院長の経験を生かして、新しいタイプの総合病院の絵を描く。専門診療科や病院スタッフを束ねて、患者さんに寄り添う高度で最適な医療を実践中。

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患者さんに寄り添って、最高水準の医療を提供したいと、熱く語る森田病院長

生物学者の父に誘導されて選んだ医師への道

 父は東京の開業医の長男で父の姉と弟は医師になりました。父によると旧制一高で陸上ばかりしていたので医学部に進めず北大の理学部に進んだとのことでした。九大に生物学教室が新設されたのを機に九州へ赴任し定年まで奉職しました。私が生まれたのは浜の町病院でその後ずっと福岡育ちですが、小学校一年生の時、父がアメリカへ留学した際、家族一緒に渡米し2年間現地の小学校に通いました。おかげで英語を聴くことと発音には一日の長があるようです。香椎中学から福岡高校に進学しました。中学から始めたバスケットを高校、大学まで続け、それが後日私の進路に影響することになります。高校2年生のころまで私はどちらかというと技術者になりたくて小学校の卒業文集にも「自動車の設計技術師になりたい」と書いていますが父親にうまく洗脳されて医学部を受験しました。父の家族に医者が多かったので、私を医者にしたかったのかもしれません。

バスケット部の部長の徳永教授に魅かれて心臓外科へ入局

 九州大学に入学し医学部のバスケット部で2年生の時「西医体」で優勝、札幌で開催された「全医体」でも優勝しました。バスケット部の部長であった心臓外科教授の徳永皓一先生が、教授会で「全医体への出場は九大開学以来のことだから旅費の寄付をお願いしたい」と言っていただき、教授の方々から札幌への旅費を集めることができました。5人のバスケット部の同級生のうち4人が「心臓外科」に入局したのは、徳永先生のお人柄に魅かれてなのだと思います。

効率的な働き方で千例以上の手術、日本と米国の差にカルチャーショック

 卒業直後、まだ国家試験の知識が新鮮なときにVQE(米国臨床留学のための資格試験)に合格しました。卒後6年目30歳のときに南カリフォルニア大学附属「グッドサマリタン病院」にクリニカルフェローとして留学し、心臓外科のパイオニアの一人であるKay先生の下で腕を磨くことができました。5人しか外科医がいないのに心臓手術は年間1,200件。でも手術が終わるとすぐ帰宅できて土日も原則フリーです。当時九大の年間の心臓外科の手術件数は200件以下でしたが毎日泊り込みでした。大きなカルチャーショックを受けました。米国での留学体験は結局6年にわたりましたが、昨今の働き方改革を考えるうえで、その体験が30年たった今になって大いに役立っています。

ターニングポイントになった藤堂先生との再会、スターツル教授の下で肝臓移植も経験

 留学して2年が終わろうとするころKay先生から「ここで執刀医として残って働くつもりはないか。そのためにはボード(専門医)が必要なのでレジデントのプログラムをいくつか紹介してあげよう。」と言われました。外科専門医のためには心臓外科からはなれて5年間の一般外科のトレーニングを受けなければなりません。迷いはあったもののKay先生に紹介された東部の大学病院をいくつか尋ねて回り、その途中にビッツバーグに立ち寄りました。卒後1年目に一般外科の指導を受けた藤堂先生がおられたからです。藤堂先生のおかげで外科のチェアマンのシモンズ先生の面接を受けることができました。その時言われたのは、「君はすでに心臓外科医なのに今から10歳も年下の連中と一緒に腹部外科のトレーニングを一から受けなおすのか?本当は何がしたい?」と聞かれたのでとっさに「日本では心臓移植が再開されていないので心臓移植ができるようになりたい。」答えました。「わかった。でも心臓移植のフェローの空きが今年はないので、1年間肝臓移植のフェローをしたら心臓に回してあげるよ。」と言われたのです。」心臓移植は魅力でしたが、肝臓移植を1年しなければなりません。するとシモンズ先生は私の逡巡を見透かしたように「私の言うとおりにすれば君は肝臓、心臓だけでなく腎臓や肺の移植もできる世界で一人だけの移植外科医になれるよ。」といわれ肝臓移植のフェローになることにしました。
 ビッツバーグ大学には世界で初めて肝臓移植に成功したスターツル先生が率いるチームが年間500件の肝臓移植を行っており藤堂先生はチームの中心として活躍されていました。九大の一般外科での研修から10年たって今度はビッツバーグで藤堂先生と一緒に働くことになりました。肝臓移植のプログラムでは3つのICUと2つの病棟を一人でカバーするという一睡もできない当直も経験しました。ひと昔前のアメリカの過酷な外科医レジデントの生活です。最初は8人いたフェローも1年後には2人になっていました。約束どおり翌年胸部外科に移ることができ心臓移植や肺移植、人工心臓の植込みを経験することが出来ました。ビッツバーグでの生活は3年に及びましたが、土日完全オフだったロサンゼルスの生活とは正反対の毎日でした。いろいろなアメリカを体験できたと思っています。

2005年心臓移植手術成功、佐賀大学教授から九州医療センターへ

 1991年、九州大学に戻りました。石の上にも3年。3年たって心臓移植ができなければあきらめるつもりでしたが、結局2005年に九州で最初の心臓移植手術を成功させることができました。2005年から3年間九州医療センターの心臓外科の部長を務めた後2008年9月に佐賀大学胸部心臓血管外科教授となり、その後佐賀大学病院院長も経験しました。九州医療センターの村中前院長から「そろそろ帰ってこんね」といわれ2016年10月に同センター副院長、2018年4月から院長に就任して現在に至ります。

患者さんの痛みを共有し真摯に寄り添う最高レベルの総合病院を目指す

 「病む人の立場に立って、安全で最適な医療を提供します」から「病む人に寄り添い、安全かつ最適な医療を提供します」と、いままでの基本理念に「寄り添う」という文言を入れました。患者さんの「痛み」を医師、看護師など医療スタッフが共用し、担当医で解決できないことは病院全体でその患者さんの治療に当たるということに取り組んでいます。「痛み」に対する手当だけでなく、あらゆる治療に関して最適な医療を提供することをスタッフ全員に確認しています。九州医療センターで治療してもらってよかったと、すべての患者さんから言っていただけるようにしたいと考えています。そのために全国でモデルになるよな、それぞれの専門医療が有機的につながった、最高レベルの総合病院でありたいと思っています。

◆取材協力 独立行政法人 国立病院機構 九州医療センター

住  所/ 福岡市中央区地行浜1丁目8番地1号
T E L/092-852-0700
F A X/092-847-8802
院   長/森田 茂樹
診療内容/九州医療センターは紹介型の病院です。
     受診の際には紹介状とお薬手帳をお持ちください。
診療時間/平日  8:30~10:30
※予約再来の方のみ午前8時より受付
※紹介状をお持ちの方のみ
休 診 日/土・日・祝日および年末年始(12/29〜1/3)
H  P / http://www.kyumed.jp
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