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OffTime9月号 インタビュー 国家公務員共済組合連合会 浜の町病院 病院長 谷口 修一

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最高レベルの医療サービスで
地域の人々に愛される病院を目指す

恩義ある先達恩師に報いるべく
スタッフと共に最善の医療を実行

 18歳の薩摩隼人が九州大学医学部第一内科からアメリカ留学、虎の門病院そして2022年10月浜の町病院病院長に就任。九大第一内科渋谷恒久先生、原田実根教授、米国バンダービルト大学KRANTZ教授、虎の門病院山口徹先生など、医師人生の折々に素晴らしい先達恩師に恵まれた私は果報者だと谷口修一院長は語る。
 好きな言葉に“短刀一本で済むことでごわんそ”と版籍奉還でもめている時、西郷隆盛が大久保利通に放ったひと言がある。リーダーとして決裁するべき時、如何に誠実にシンプルに核心をつけるかという谷口院長の覚悟のバックボーンに違いない。

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まず患者さんありきの柔らかさと揺るぎない姿勢が大切と語る谷口病院長

薩摩の郷中教育で鍛錬の少年時代

 両親の故郷、鹿児島県の国分で生まれ、小学校は近隣の加治木町の柁城小学校。護国神社と加治木高校と同じ関ヶ原の戦いで徳川本陣を中央突破して帰還した島津義弘公の居城跡にあり、精矛神社の青雲舎で郷中教育の名残で、3年生から5年生まで毎週土曜日の午後はソフトボール、夜は講演を長時間正座して聴き、翌朝は5時から自顕流の修行。
 野球好きなのでソフトボールは嬉しかったが、正座での講演と霜柱の地面に裸足で立つ痛いほどの冷たさは辛かった。前の生徒が溶かした足跡に慎重に足をのせることで凌いだ(笑)。
 高校教師をしていた父親の転勤で同じ鹿児島の清水小学校で6年生。厳しい修行の日々から解放され平穏な日々が(笑)。

鹿児島県立鶴丸高校時代は生徒会活動、教職志望から一転医学部受験へ

 
 鹿児島大学附属中学校中学時代は”先生の言うことをちゃんと聴いてたら大丈夫“
と、授業をしっかり集中、理解したことで鹿児島県立鶴丸高校に入学しました。
 その頃はノンポリで、生徒会長も教師たちの推薦で決まる時代に”それは嫌だ“と友達のひとりが立候補、当選し、選挙運動を手伝ったことから私は会計局長(笑)。それなりに充実して愉しかったですね。
 ちなみに文化局長をしていた藤井信吾君は東大法学部を出て、茨城県取手市長を3期しました。大学進学に当たって父親と同じ教職にと国立教育学部を志望先に書いたのですが、担任の先生から”医学部に行けるぞ“と言われ、素直に医学部志望へ変更(笑)。

九州大学医学部入学、六本松間借下宿の無頼の青春

 
 1978年に九州大学医学部入学。当時六本松の間借下宿で、現九州がんセンター院長の藤也寸志君、福岡市民病院副院長の東秀史君と酒と麻雀の日々(笑)。
 隣室には高校、大学同級生の現九州大学第2内科教授の北園孝成君が居て、私と正反対で物静かで真面目で細身で、私が、酒と麻雀の日々を過ごす中、彼はさだまさしや高田みづえ。時にはさだまさしのLPを借りて録音してたり(笑)。
 ”カビリヤ“というジャズ喫茶があって時々はコルトレーンの音に浸ってみたり、それより麻雀だと(笑)。
 

九州大学病院第一内科入局から血液グループで骨髄移植研究

 
 医局は仁保喜之教授の第一内科。血液内科研修で九大病院から2年目に九州厚生年金病院に勤務し、専門の科それぞれの先生のバリバリの臨床が感動的で、一緒に勉強させていただくのが嬉しくて仕様がなかったですね。
 臨床の凄さを実感したことで、大学院で基礎研究予定から九大第一内科血液グループに入りました。そこで後に新小倉病院の院長になられた渋谷恒久先生から徹底的に基礎研究を指導され、3ヶ月で3本の論文が書けるほどの実力を養い、金沢から帰って来られた原田実根教授のもと九州で初めて骨髄移植をスタート。28歳の時でした。
 この浜の町病院に1990年無菌室が設置され、私が”骨髄移植室長“として派遣されました。当病院との最初のご縁ですね。

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米国テネシー州バンダービルト大学留学、しっかり休日のある3年間を堪能

 
 妻と2歳半の息子を連れて、1993年米国テネシー州バンダービルト大学に留学。造血幹細胞の研究で3年半滞在しました。本来はもっと早く帰国できる筈が、恩師の原田先生が九大から去った所為で、誰も帰って来いとは言ってくれず(笑)。
 それでも、空港に迎えに来てくれ、1週間ラボへの送迎もしてくれた最近亡くなられたKRANTZ教授への感謝はもちろん、休みなく働くことが当然の医師意識の呪縛から解放され、ラボの仲間からの”サザンホスピタリティ“の温かさは胸に沁みました。
 夏時間になると、夜8時ごろまで明るく、4ドル廻り放題のパブリックコース3カ所でゴルフ三昧(笑)。何よりうれしかったのは家族時間がしっかり持てたおかげで、息子が時々いるおじさんの私をしっかり父親だと認知してくれた事(笑)。

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アメリカ留学時代、お世話になったフロイト教授ご夫妻と右から私、妻、長男

37歳で浜の町病院血液内科医長着任、虎の門病院血液内科部長から副院長

 
 37歳で帰国し、浜の町病院に当時の西田之昭病院長の招聘で血液内科医長として着任し6年勤務し、2003年虎の門病院に血液内科部長として赴任し、”臍帯血移植“の研究を進め”日本造血細胞移植学会賞“を受賞しました。
 この時期、循環器の権威である当時院長の山口徹先生に10年間お世話になりました。すぐ怒る先生でしたが、九大の原田先生も同様で、慣れていたので適切に対応できていましたね(笑)。
 最後の5年間は副院長で、東大閥の中、我ながら頑張ったもんだと(笑)。都合19年在籍しました。
 

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12代市川團十郎ご夫妻と。2009年8月、秋篠宮両殿下をお迎えしてのさい帯血バンクネットワーク10周年記念式典(私が実行委員長を務めた)
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虎の門病院での最後の外来の日

2020年10月の浜の町病院院長就任、病気と明るく向き合える病院に

 
 2022年浜の町病院副院長として着任し、同年10月に院長に就任しました。
 私の理想としては、自分の病気に様々な不安を持つ患者さんが、帰る時にはもつれた紐がほどけるように不安が取れて、病気と明るく向き合えるような病院でありたいと思っています。
 そのためには、医師は診療に誠実で、看護師もまず患者さんありきの柔らかさで、診療技術部や事務部も正しいことは正しく実行するという揺るぎない姿勢が大切です。そして、今まで以上に地域住民の人々に頼りにされ、気軽に可愛がってもらえる病院を目指します。
 

◆国家公務員共済組合連合会 浜の町病院

住  所/福岡市中央区長浜3丁目3番1号
T E L/092-721-0831(代表) 
病 院  長/谷口 修一
診療内容/[内科系]内科、血液内科、消化器内科、肝臓内科、腫瘍内科、緩和医療内科、呼吸器内科、循環器内科、糖尿病・内分泌内科、脳神経内科、腎臓内科、リウマチ・膠原病内科、感染症内科、総合診療科、小児科
[外科系]外科、消化器外科、呼吸器外科、乳腺・甲状腺外科、整形外科、形成外科、産婦人科、泌尿器科、脳神経外科、耳鼻咽喉科・頭頸部外科、眼科、皮膚科
[その他の診療科]
放射線科、救急センター、麻酔科、病理診断科、リハビリテーション科、精神科
受付時間/初診受付時間 8:30~11:00
休 診 日 /土・日・祝日・年末年始
H  P / https://hamanomachi.kkr.or.jp

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