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OffTime7月号 インタビュー 地域医療支援病院日本医療機能評価機構認定病院糸島医師会病院 院長 冨田 昌良

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独自のNPと医療クラークを活用し、
地域医療機関と連携して安全で質の高い医療を目指す

院長就任から17年い
医師の負担軽減図りながら地域に愛される基幹病院を

 

田川市後藤寺から百道中学、修猷館高校を経て、福岡大学病院看護師長の伯母様とブラックジャックの漫画に感化されて、福岡大学医学部へ。卒業して福岡大学第一外科・志
村秀彦教授、同大学院・岡田秀親教授、留学したユタ大学のC J パーカー教授、帰国して福岡大学第一外科・池田靖洋教授と錚々たる恩師に恵まれたことは僥倖この上ないと語る冨田院長。中学高大学と青春を過ごした仲間への友情と感謝は、いつも胸中にあるとさらに語った。

iNP、医療クラークをさらに充実させると熱く語る冨田院長

田川市後藤寺に生まれ地元の小学校から福岡市百道中学校へ転校

 生まれたのは福岡県田川市の後藤寺。当時国鉄の職員をしていた父と専業主婦の母、姉がひとりの4 人家族でした。小学校は地元の後藤寺小学校に入学しましたが、父の転勤で小学5 年生の時に直方北小学校に転校し、父が元の職場に戻ったので、6年生を後藤寺小学校で過ごしました。
小学生の頃は真面目に通学する、おとなしい普通のこどもでしたね(笑)。
 中学は親元を離れて、福岡市立百道中学校。これには理由があって、転勤が多かった父が私の将来の進学を考えて、これでは落ち着いて勉強も出来ないと独身の姉、私にとっては伯母のひとり住まいの百道の家に預けられたこと。いま思うとこれは私が医学の道へ進む扉を開いた、父
の聡明な英断でしたね。百道中学では友達に誘われて軟式テニス部に入りましたが1年で退部し、
中学2年生になってフォークギターを始めました。キッカケは私の従妹の同級生が井上陽水だった影響で、
彼の歯医者の実家に行ったことがあります。” アンドレカンドレ“デビュー直前で彼の弾き語りを聴くチャン
スがあったのですが、その時は何故か拒絶。残念な事です(笑)。

修猷館高校でフォークバンド結成、体育祭応援団コンテストに熱中

 高校は修猷館で、弓道部に入り、その仲間とフォークバンドを結成しました。バンド名は担任の先生の堅一の堅をもじって” ギャタイチ“、うまいピアノとギター2 本で”明日に架ける橋“などを演奏しました。

 文化祭は晴れのステージ(笑)。のめり込んだのは体育祭。4ブロックの応援団コンテストを演出するパネルがそれまで2 色2 枚だったのを私が横開き多色パネルを開発(笑)。現在は福岡地区どの高校でもそ
れですね。当時の体育祭の幹部たちは現在でも交流があります。コロナ禍で中止していますが、2
0 2 0 年にイタリアンレストラン”ドムス“で無理矢理参加させるジャイアンコンサートをしました。

職員バンド ギター担当が筆者
三大テノール 高校の同級生を50人程集めジャイアンコンサート

伯母様が福岡大学病院看護師だったことと
手塚治虫の”ブラックジャックの影響で“医学部受験へ

 医学部受験のキッカケは預けられていた伯母が福岡大学病院の看護師長をしていて福大医学部を強く勧められたことと、丁度高校1年生の時に少年誌チャンピオンで手塚治虫の”ブラックジャック“の連載が始まり、それで外科医になりたいと(笑)。同級生もその後34 人が医師になるなど、医学部受験は自然な流れでしたね。

福岡大学医学部では6 年間バレーボール部

 福岡大学医学部に入学し、バレーボール部に入り、6年間、初心者から3 年生でレギュラーになり、” 西
医体“は2 回戦、” 九山医体“は4 位とセッターで頑張りました。そのバレー部の1 年後輩の渡邉良二が当
院の外科副院長、12年後輩の森憲が内科の副院長をしています。
 今年の2 月には、ホテルニューオータニで多数のO B が参集して”50周年記念祝賀会“が開催され、懐かしい面々と会い嬉しい限りでした。

大学バレー 鉢巻しているのが筆者

福岡大学第一外科で志村秀彦教授に師事
腫瘍免疫学を学ぶため大学院で岡田秀親教授に師事

 医局はB J や白い巨塔の影響もあり、岡大学第一外科に入局し、志村秀彦教授に師事しました。その間臨床研修医として、北九州市立小倉病院、勤務医として白十字病院、筑前山田病院とそれぞれ1年間、昭和62年10 月に福岡大学病院の医員。その翌年3 月、腫瘍免疫を学ぶために大
学院に進み、岡田秀親教授に師事しました。岡田教授は補体学で高名で、自己免疫をつかさどる補体制御因子(C D 59)を発見されていて、同時期に同じ分子を発見されていたUniversityofUtah.U.S.AのC J パーカー教授のもと血液腫瘍学を学ぶために留学しました。

SLC 実験室で

平成5 年帰国し池田靖洋教授に師事
糸島医師会病院への手術応援が縁で2 0 0 7 年院長就任

平成5 年帰国。福岡大学第一外科池田靖洋教授に師事し、胆道系内視鏡診断手術の指導を受け、
ER C P 、ES T など胆道系の検査処置がレパートリーに入りました。

糸島市医師会病院の外科部長が退職されたため、週1回、平成10年福大から手術応援に来ていました。そのまま翌年外科部長に就任し、ほどなく副院長。前院長が脳出血で倒れ2 0 0 7 年7 月に急遽49歳で院長に就任しました。かれこれ17 年になりますね。

働き方改革でi N P を開始
医師一人で医療クラークを一人

 これからは働き方改革のタスクシフトといわれるけど、当院では2 0 0 9 年から法人内ナースプラクティショナー
(i N P )を開始しています。外科手術室、病棟での勤務経験がそれぞれ5 年以上の女性看護
師を雇用し、院長直属の医局に所属させ、1年間同一医師(指導医)にマンツーマンで就く副主治医や研修医的な存在です。点滴メニューの考案、イレウス管挿入でのガイドワイヤー操作など医療手技も行い、医師
の一連の診療補助さらに看護業務までをこなします。医師からは「業務軽減になる」、患者さん
からは「相談や質問を気軽に聞ける」と評価が高いですね。

 さらに医師の負担軽減策として保険点数が算定可能になる以前より医療クラーク(医師事務作業補助者)を採用しておりました。現在一人か二人の医師に一人の割合でクラークを配置できています。
これからは医師一人に医療クラークを一人付ける方針です。現状では、急性期患者の一部を福岡市内の高次医療機関に搬送せざるを得ませんが、できるだけ地域完結型医療の実現が望まれるところです。

◆地域医療支援病院 日本医療機能評価機構認定病院 糸島医師会病院

住  所/糸島市浦志532-1
T E L/092-322-3631
院   長 /冨田 昌良
診療内容/外科、内科、放射線科、緩和ケア科、乳腺センター、麻酔科、整形外科、リハビリテーション科
受付時間/月曜日~金曜日 8:30~11:00

休 診 日 /土・日・祝日、年末年始
H  P / https://itomedhp.jp

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