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OffTime1月号 インタビュー 独立行政法人 国立病院機構九州医療センター 病院長 岩﨑 浩己

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医療機能レベルアップと人材育成で
地域屈指の頼れる総合病院を目指す


 

数多の恩人からの激励に応えるべく
ラガーマン精神で地域医療の充実を

 

 

久留米大学附設高校から九州大学医学部の9年間で培ったラガーマン精神でハードな血液内科医生活を乗り越え、昨年九州医療センター院長就任。大恩人赤司浩一先生(現九州大学医学部第一内科教授)はじめ数多の方々にお世話になったと語る岩﨑浩己院長。これからはその恩に報いるためにも●高度急性期医療●救命救急センター●広域災害拠点、それぞれの充実を図り、何より確かな人材育成で貢献したいと、力強く語った。

地域の人々のための公的基幹病院としてのさらなるレベルアップをと熱く語る岩崎病院長

 

小学生時代は草野球、中学は陸上で三段跳び、フォークデュオでかぐや姫

炭鉱のまち大牟田市原山町、公務員の父と専業主婦の母のごく普通の家庭に生まれました。小学校は現在は廃校になっている不知火小学校で6年過ごしました。放課後、仲間と空地やその頃はOKだった公園で草野球。陽が落ちるまで夢中で、人数が少ない時は無理矢理三角ベース(笑)。買ってもらったグローブは大切で、毎日磨いていましたね。
 中学校は、此処も統廃合で吸収された延命中学校(笑)。中体連では幅跳びや三段跳びをしていましたが、成績は市大会レベルでぱっとしませんでした。それと小学6年生の頃に買ってもらったフォークギターが宝物。伊勢正三と南こうせつの”かぐや姫 “が好きで、友達とデュオを組み『 才の別れ』『なごり雪』なんかを練習してました。愉しかったですね。

久留米大附設高校でラグビー同好会入部、灰色の男子校生活でバス停は薔薇色

 

当時男子校だった久留米大学附設高等学校に進学し、ラグビー同好会に入部しました。グラウンドはサッカー部に優先権があり、後発のわがラグビー同好会は久留米大学商学部のグラウンドを借りて練習したり合宿したり、女子マネージャーは望むべくもなく、男らだけの灰色の部活(笑)。その所為ではないだろうが、強豪修猷館高校にはしたね(笑)。そんな高校生の私は、大牟田から西鉄大牟田線で久留米駅へ、バスを乗り継いで通学していたのですが、バス停にたまっている薔薇色の久留米信愛女学院の女生徒達。バレンタインチョコを貰ったりしましたが、残念ながら進展はない(笑)。唯一光と色のついた想い出です。

九州大学医学部入学で、ラグビー部6年生で”九州山口医体”で優勝

 

医学部受験のきっかけは、父が社会保険関係の公務員をしていたことで医師達との多くの接点があったということで、私が子どもの頃から”医師になりなさい “と言われたことと、附設の生徒たちが医学部志望ばかりで、その雰囲気と流れで九州大学医学部受験に挑み、1984年九州大学医学部入学、そしてラグビー部に所属しました。医学部ラグビー部はまだ歴史が浅く、私は9期生でした。1年生の時は弱く、”九州山口医体 “は熊本大学医学部が当時 連覇するほど強く、”西日本医体 “では大阪など関西勢が優位でしたね。

 そして私が6年生の時 ”九州山口医体 “の舞鶴グラウンドでの決勝戦で熊本大学を破り創部以来初優勝。高校時代からずっとスクラムハーフで頑張っていた私にとってもこの上ない栄光の瞬間でした。その後の打ち上げは狂喜乱舞、OBたちも加わって文字で表現できない有様でした(笑)。

平成元年4月30日 九州・山口医科学生体育大会で9連覇中の熊本大学医学部ラグビー部を14対10で破り悲願の初優勝 チームメイトに胴上げされる6年生の私@舞鶴公園球技場

九州大学医学部第1内科入局、赤司浩一先生との出会い、ハーバード大学留学

 1990年九州大学医学部第1内科に入局、仁保喜之教授のもと研修医生活をスタート。1年目の指導医が現在第1内科教授の赤司浩一先生で、以後大変お世話になりました。翌年1年九州厚生年金病院(現JCHO九州病院)で研修し、九大に戻り腫瘍センターと輸血部医員となり、1996年からは松山赤十字病院内科に血液内科医として4年間勤めました

 そして2000年、研修医1年目の指導医だった赤司先生が米国ハーバード大学医学部ダナファーバーがん研究所に研究室を主宰されることになり、キャリアアップを少しだけ考え始めていた当時の私に声を掛けて頂きました。それから5年間基礎研究研鑚の日々。妻は愛媛大学第1内科の血液内科医で、留学が決まったタイミングで結婚し、3年後の2月に長男が生まれました。ボストンの2月は豪雪で、陣発した妻を乗せて産院へ向かうべき車がスッポリ埋もれていて大ピンチ。近所の人に手伝ってもら っ て 掘 り 除 き 、何 と か ”ブ リ ガ ム ア ン ドウィメンズホスピタル “に辿り着いたそのわずか 分度に出産(笑)。大変でした。

ボストン留学

26年にわたる赤司先生との、充実の師弟関係

 2005年、赤司教授の遺伝子細胞療法部に助手として帰国。4年後に講師さらに3年後に准教授と 年間在籍し、研究と診療の日々を過ごしました。研修医から 年間の赤司先生との師弟関係は、医師としての私には貴重かつ、この上ない幸運でした。最大限の感謝ですね。

 

2023年九州医療センター院長就任、42診療科の専門医及びスタッフ全員とさらなる地域医療の充実を図る

 

2016年に九州医療センターの血液内科科長として着任しました。前任の岡村精一先生は、九大腫瘍センター時代のメンターで、私の着任を喜んでくださいました。

 その後、臨床研究センター長そして副院長を経て2023年4月、院長に就任しました。困難なコロナ禍を全スタッフの協力で何とか乗り越えて、これからはさらなる”高度急性期医療“の充実を図るべく42専門診療科がそれぞれの高い医療技術を遺憾なく発揮できるよう人的物的投資を続ける必要があります。

 次に、福岡西部・糸島地区の人々の安心のために”救命救急医療“の要所としての機能向上。そして公的病院として”広域災害拠点“の体制強化。これはコロナ禍で経験したことを活かします。

 2020年2月 日に福岡県で最初のコロナ感染患者が当センターに入院し情報がほとんどない中診療し、今までに2,000人以上診ています。少子化に歯止めが掛からない中医療界も、”人材確保・育成 “が急務です。 名の研修医はじめ新人看護師他医療スタッフも毎年100名以上、そのような若い人たちへの指導教育が、大学病院のカウンターパートとしての九州医療センターの役割だと思っています。責任重大ですね。

 

◆独立行政法人 国立病院機構九州医療センター

 
住  所/福岡市中央区地行浜1丁目8番地1号
T E L/092-852-0700
病  院. 長/岩﨑 浩己
診療内容/総合診療科、代謝内分泌内科、膠原病内科、血液内科、 消 化 器 内 科( 消 化 管 )、消 化 器 内 科( 肝 胆 膵 分 野 )、免 疫 感 染 症 内 科 、腎 臓 内 科 、高 血 圧 内 科 、循 環 器 内 科 、心 臓 血 管 外 科 、血 管 外 科 脳 血 管 ・ 神 経 内 科 、脳 神 経 外 科 、脳 血 管 内 治 療 科 、整 形 外 科 、呼 吸 器 内 科 、リ ウ マ チ 科 、肝 胆 膵外科、消化管外科乳腺外科、呼吸器外科、放射線科、 歯 科 口 腔 外 科 、産 科 、婦 人 科 、眼 科 、耳 鼻 咽 喉 科 ・ 頭 頸 部 外 科 、形 成 外 科 、泌 尿 器 科 、小 児 科 、小 児 外 科 、皮 膚 科 ・ ア レ ル ギ ー 科 、精 神 神 経 科 、腫 瘍 内 科 、感 染 症 内 科 、救 急 科 、麻 酔 科 、病 理 診 断 科
受付時間/月曜日~金曜日 8:30~10:30
休 診 日 /土・日・祝日、年末年始
H  P /https://kyushu-mc.hosp.go.jp

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