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OffTime7月号 インタビュー 社会医療法人北九州病院北九州古賀病院 院長 橋爪 誠

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さらなる慢性期医療の充実で
地域の高齢者に安心と信頼を

少年時代に抱いた医療への疑問から
医師なるべく学究研鑚の道へ

 

 小中高校を飄々と過ごした少年が、尊父の死への強力な記憶を糧に、修猷館高校から九州大学へ進み、卒業後同大第2 外科に入局し、井口潔教授に師事そして第一病理学教室の田中健蔵教授に師事したことが、後の医師人生の確かな礎になったと語る橋爪院長。

 さらに指を数えても足りない程の先達恩人にも感謝し、日々の研鑚を欠かさず、これからも院長としての使命を果たしたいと重ねて語った。

さらなる 高 齢 化 に 対 応 す べく地 域 医 療 や 社 会 福 祉 に 貢 献した いと 語 る 橋 爪 院 長

門司市に生まれ福岡市中央区桜坂へ警固小、警固中の平穏な少年時代

福岡県門司市に産まれましたが、ほどなくして福岡市内の中央区桜坂に移り、警固幼稚園に通いました。父は私が9 歳の時に亡くなり、女手一つで育ててくれた母も、百歳まで生きると豪語していま
したが、残念ながら昨年98 歳で亡くなりました。寂しいですね。

小学校、中学校はそれぞれ福岡市警固小、中。総じて大人しくて真面目な少年でした(笑)。そ
れでも中学の時は、ブラスバンド部に入り、トランペットを吹いていましたが、そんなに熱心というほどでは
なく(笑)、発表のタイミングは文化祭や体育祭の時に校歌を演奏したりしていました。しっかり3 年間続けました(笑)。

修猷館高校の校風と尊父の死の記憶で医学部受験へ

 高校は修猷館高校で警固中からは約5 0 0 名の3 年生の内、10名程度の合格者。当時はラサールが目立ち始めた頃で教育大付属中学は優秀で、合格者は約10 0 名でした。高校時代はいわゆる帰宅部で、波
風の立たない凪の中に身を置いていました(笑)。
 医学部受験の動機は、私が9 歳の時に、父が虫垂炎で伯父が営む大宰府の病院に入院し、1週間もすれば元気で戻ってくる筈がそのまま息を引き取った。当時の私の頭の上に疑問符がいっぱいになった強力な記憶と修猷館高校に漲る医学部受験モードと相俟って決意しました。

九州大学に入学し平安な6 年間

 九州大学医学部に入学し、2年間六本松の教養部、4年間馬出に桜坂の自宅から通いました。この頃も凪の状態で、特別なエピソードはないですね(笑)。

九州大学医学部第2 外科入局
井口潔教授に師事し、大学院の田中健蔵教授の病理学教室へ

 医局は九州大学医学部第2 外科で、井口潔教授に師事しました。外科医と云えばスポーツマンタイプをイメージしますが、井口先生は学究肌の研究者タイプで、お茶の水大学で理学博士号も取得されるなど”自分の哲学をもって考える外科医“を提唱され実践されていました。
 元々北九州、久留米地区は生活環境からのC 型肝炎患者が多く、そのため肝硬変、肝がんなど肝不全で亡くなり、医局に入ると毎週土曜日は誰かが血を吐いて倒れる時代でした。
 井口先生は、食道静脈瘤の”井口シャント“を考案し、血管吻合器を創ったり、自分で術式や機器を開発されるなど世界的に有名で、当時T V で外科医が主人公の”ベン・ケー・シー“や漫画ブラック・ジャックの現実の姿が、井口先生に重なりましたね。
 そして入局2 年目。井口先生の後押しで、大学院の第一病理学教室 の田中健蔵教授(元九大総長)のもと、静脈瘤の”井口シャント“の仮説を証明すべく、肝硬変患者の胃壁微小血管構築の研究をしました。

九大病院先端医工学診療部教室員とクリスマスファミリーパーティー開催

初代救命救急センター長に就任
久留米大学と連携しドクターヘリ活用

 平成10年6 月九州大学医学部第2 外科学講座助教授、平成11年2 月同大学大学院先端医療医学部門災害救急医学分野教授、同大学病院先端医工学診療部・部長兼任を経て、水田祥代病院長の時平成18年8 月同大学病院初代救命救急センター長に。国立大学としては8 番目で、屋上にヘリポートを設置し、久留米大学高度救命救急センターからのドクターヘリや消防ヘリの活用で、西日本でナンバーワンのセンターになりましたね。
 また私が福岡救急医学会の会長をしていた際にはサポート体制の強化と平成22 年にはマリンメッセ福岡で小学生から高齢者まで13 3 5 人を一堂に会して心肺蘇生術の訓練を実施するなど市民へのアプローチに注力しました。結果として、福岡県が全国第一位の心肺蘇生術や社会復帰率に達したとの報せを受けた時は望外の喜びでしたね。

1999年台湾大地震支援活動に参加した際の台中の運動場にて

九州大学退官し
北九州中央病院病院長就任

 平成30 年3 月に九大を退官し、6月に北九州中央病院の病院長に就任しました。九大時代の急性期医療、先端医療の現場と慢性期医療の現場では患者さんの層は違うし、診療内容も違うことを認識しました。

令和2 年北九州古賀病院病院長就任
慢性期医療の理想を実現へ

 令和2 年6 月に北九州古賀病院の病院長に就任し、慢性期医療病院の特性として、圧倒的に高齢者が多く、認知症や介護のケアサポートの充実は急務であると思っています。日々の診療の中で、高齢の患者さんはそれぞれの背景や価値観が異なり沢山の病気を持っていて、その介護や看護は非常に大変で、医療スタッフが忙しすぎる現実を痛感しています。
 難治性の病気など多様な患者さんに対応する看護師、介護士不足は如何ともし難い。慢性期医療のその先にある患者さんの最後の人生を悔いなくサポートするには如何すれば。そう考えると改めて責任重大ですね。

さらなる高齢化社会に対応すべく
西日本看護医療大学設置準備

 これからのさらなる高齢化、特に福岡・北九州地区は政令都市の中でも顕著です。病気がそれこそ多岐に渡っていて、看護も新しく取り入れなければならないスキルがあり、そこで留意しなければならないこと。それは教育なのです。
 北九州病院グループが擁している急性期と慢性期総病床数は4 2 6 8 床。それ以外に老健施設や健診施設、訪問看護などすべきことが沢山あり、さらに仕事が増えています。そのために専門的な看護学
を身につけることは勿論、患者さんの人間としての尊厳を尊重する心、深い思いやりの心を持つことがなにより大切です。
 患者さんに信頼され高度な資質をもった看護師を育てる使命をもって、令和8年4 月に開校すべく”西日本看護医療大学“を設置準備しています。私も、気概に燃える専門スタッフと共に健康科学の発展と地域医療や社会福祉に貢献したいと決意を新たにしています。

西日本看護医療大学完成予想図

◆社会医療法人北九州病院 北九州古賀病院

住  所/古賀市千鳥2丁目12番1号
T E L/092-942-4131
院   長 /橋爪 誠
診療内容/内科、呼吸器内科、脳神経内科、精神科、リハビリテーション科(他科の往診 歯科、眼科、皮膚科)
受付時間/平日 8:30~11:00(新患は9:00〜11:00)

休 診 日 /土・日・祝祭日
H  P / https://honbu.kitakyu-hp.or.jp/

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