
Top Interview| On |
コロナ後の厳しい医療業界に挑む
”面白き事もなき世を面白く“
県立福岡高校時代あまりの成績の悪さから一念発起。何を思ったか医者になろうと猛勉強して産業医科大学へ。卒業して産業医科大学第一外科入局。大里敬一教授に師事し、加藤秀典先生に診療のイロハを学び、出向先の九州厚生年金病院の真鍋英夫先生の素晴らしい指導を受けた。
大学院でも大里敬一教授、岡本好司先生の指導のもと学位論文を完成させた。大学の助教となり、黎明期の腹腔鏡手術で共に執刀研鑚した永田直幹先生との縁で、北九州総合病院外科部長着任。お世話になった諸先生への恩返しのため、この現在の厳しい医療業界で日暮院長の好きな高杉晋作の“面白き事もなき世を面白く”と成し得るか。

学生の頃はソフトボールと草野球
中学で始めたバスケ練習は
とにかく走る!
生まれたのは福岡市東区、香椎と糟屋郡の間の八田という町。小学校は多々良小学校なのですが、当時は就学児童が溢れるほど多く、広大な地域に若宮小学校が増設されました。その頃は公式試合のあるソフトボールと空地の原っぱで仲間と軟式野球をしてました。ソフトボールはセンターを守っていましたが、勝った記憶がない(笑)。
中学校は多々良中学校、13クラスあったので多々良中央中学校が新設され、2年生の時にそちらへ移りました。多々良中学校から始めたバスケットボールは大学まで続けましたね。多々良中央中学校では顧問がラグビー出身で練習はひたすらダッシュ(笑)。
福岡高校時代のバスケ練習はハード
体育祭のブロック応援団で副団長
高校は福岡県立福岡高等学校。バスケットボール部に入り、ハードな練習で辛い日々を送りました(笑)。福岡市を中心とした2部で、修猷館高校は強かったですが我らは県大会には行けず、1年下の後輩は1部で全国大会に(笑)。それでも高校時代は総じて楽しかったですね。特に体育祭は学校全体を4ブロックに分けて、それぞれ応援合戦、私は3年生の時応援団副団長として頑張りました。

進路考慮時600名中450位
10位まで盛り返し、医学部受験へ
バスケットボールに振り回されて、気が付くと成績は、福高研修学館(高校に併設された予備校)の150人プラス福高生450人で600人。私は何と450位、ハタと青ざめて猛勉ダッシュ(笑)。高校3年生の時には上から100番。バスケの顧問からは”お前が医学部?やめとけ“と言われましたが、最後の校内試験では、600人中10番まで駆け上がり、決然医学部受験を目指しました。
産業医科大学医学部4期生として入学
バスケとパチンコ三昧の大学生活
一年浪人して開学4期生として産業医科大学医学部に入学し、バスケットボール部に入部。以後6年間ひたすら練習の日々でした。「西医体」「九州山口医体」に出場し、最高成績は「西医体」のベスト8でしたが、2、3年下の後輩たちが「西医体」で優勝(笑)。その優勝時のメンバーが現在産業医大の産婦人科の教授をしています。3年生までは香椎の自宅から通っていて、3号線はパチンコ屋が多くて、昼間は立ち寄り、夕方から部活へと正しい大学生でした(笑)。
4年生の時は”学園祭実行院長“をしましたが、大学生時代は留年しないように、ただ粛々と時を過ごして(笑)。
産業医科大学病院第一外科入局
大里敬一教授に師事し加藤秀典先生と
九州厚生年金病院で
真鍋英夫先生と指導を受ける
医局は産業医科大学病院の第一外科で大里敬一教授に師事しました。学生の頃に見学した手術の印象が”これは組みやすし“ということで安易に(笑)。直接的には加藤秀典先生に、患者さんの生活、内面に至る診かたなど指導して頂きました。
2年目の昭和63年6月に九州厚生年金病院へ出向し、呼吸器外科チームに入り、真鍋英夫先生の素晴らしい指導を受けました。その時に当時タブー視されていましたが、いわゆる妊娠先行型結婚をしました。産業医大第一外科の看護師と。現在の糟糠の妻です(笑)。
新潟の燕労災病院、
門司労災病院で1年勤務
大学院は産業医科大学医学研究科
平成元年4月、産業医科大学病院第一外科専修医として戻り、翌年新潟県燕三条の燕労災病院へ、次年に門司労災病院へとそれぞれ1年勤務しました。特に当時の燕労災病院の小柳隆介外科部長は巧みな胃癌手術が定評の先生でしたが、鬼の指導で若手医師達は震えあがっていました。
平成4年4月、産業医科大学大学院医学部研究科入学し、大里敬一教授の血液凝固研究室で試行錯誤を繰り返しながら、岡本好司先生に助けてもらい学位論文を書きあげました。
産業医科大学病院第一外科助手着任
黎明期の腹腔鏡手術を執刀研鑚
平成8年4年、伊藤英明教授が率いる産業医科大学病院第一外科の助手として着任し、文字通り黎明期であった腹腔鏡手術を永田直幹先生(現北九州総合病院総院長)と執刀研鑚を重ねました。胃の手術、大腸の手術などなどいろんな腹腔鏡手術にチャレンジしました。
山口幸二教授が着任されて、私の専門は食道がんと胃がんの内視鏡手術になり、平成20年からはそれ一筋。
同級生の平田敬治先生が第一外科の教授になってくれたので辞職することができ、永田直幹先生の御勧誘を頂き、平成27年9月北九州総合病院の外科部長として着任しました。

平成27年9月 北九州総合病院 外科部長
平成28年2月同名 外科主任部長
平成28年5月同名 副院長昇
令和7年6月同名 院長就任
急性期病院としてさらなるレベルアップ
総合病院としてのパワーアップを図る
一般的に急性期病院も厳しい経営状況にある中、北九州総合病院の立ち位置を明確にすることが大切です。北九州はもちろん福岡市内の急性期病院にも引けを取らないようにソフト&ハードのさらなるレベルアップを図ることが必要ですね。
本来救急病院としてのスタンスから、産業医大からの流れで、内科系外科系ともに専門性の高い医療を提供できる体制が整ってきました。北九州総合病院ならではの、救急医療と専門的医療の両立を確立したいと思います。
24時間365日体制で、患者さんにとっては”最も信頼される病院“、地域の皆さまにとっては”なくてはならない病院“であり続けたいと思います。そしてスタッフの皆さんが、北九州総合病院のスタッフであることに誇りと満足感を持てる職場であり、今まで以上にワン・チームとなれるようにしたいと思います。
◆社会医療法人北九州病院 北九州総合病院
住 所/北九州市小倉北区東城野町1番1号
T E L/093-921-0560
院 長 /日暮 愛一郎
診療内容/
内科 循環器内科、消化器内科、呼吸器内科、血液・腫瘍内科、腎臓内科、膠原病内科・糖尿病内科、小児科、放射線診断科、放射線治療科、病理診断科
外科 消化器外科、呼吸器外科、乳腺外科、麻酔科、救急科 (救命救急センター)、整形外科、重度四肢外傷センター、関節再生再建センター、再生医療外来、脳神経外科、もの忘れ外来、認知症予防外来、形成外科、皮膚科、耳鼻咽喉科・頭頸部外科、泌尿器科、ウロギネコロジーセンター、産科、婦人科
診療時間/平日(月~金曜日)8:30〜11:00
休 診 日 /土曜日・日曜日・祝日・年末年始
H P / https://sogo.kitakyu-hp.or.jp









この記事へのコメントはありません。