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好きなこともっと 小石原焼

20151019

気軽に、窯元探訪。

 小石原といえば、飛び鉋、刷毛目、櫛目、指描き、流し掛け、打ち掛けなどの技法を用いるおおらかな紋様で知られるところです。まろみのある釉薬と素朴な形や手にふれた時のやわらかな質感なども、シャープな現代の食卓を和ませる要素となっています。
 小石原焼は、初代高取八蔵の孫が中野(小石原皿山地区)で陶土を見つけて移り住み、擂鉢や甕類を焼いたのが起源。当時は「中野焼」とよばれる民用の日用雑器でした。1835年に記された『筑前国続風土記拾遺』をひも解けば、「産物中野にて陶器を製す。酒壺、花器、茶瓶、擂鉢、井樋などの類…」と記されています。明治30年代の窯元数は10戸、共同登り窯2基。家族単位という家内手工業で技が伝えられてきたようです。
 敗戦後、民芸運動が活発化していくにつれ、小石原焼の知名度は上がり、昭和33年の万国博覧会日本館では、小石原焼がグランプリを受賞。一躍、脚光を集めました。昭和35年には、日本工芸館小石原分館を皿山に建設。昭和37年には、今も続く「民陶祭」もスタート。昭和40年代に入ると、原土粉砕機や電動ろくろ、土練機など機械化が進みます。個人窯も増え、良いものも悪いものも作れば作っただけバンバン売れていく時代が到来。昭和50年には、ついに陶磁器では初めて通産省の「伝統的工芸品」に指定されました。
 さて現代の小石原焼はどうでしょうか? ひと頃の最盛期に比べると消費量は減りましたが、福岡市内からクルマで約1時間の近距離にある東峰村までドライブがてら、窯元を直接訪ねて、好きな器を買うという人々が増えています。毎年春と秋の連休に開催される「民陶祭」は、定価の2割引。また祭り以外の日でも作り手の工房を訪ね、仕事場を見学することができます。ぜひ、お気軽に足をはこんでみてください。

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