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OffTime9月号 インタビュー 独立行政法人国立病院機構福岡病院 院長 吉田誠

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スタッフの確かな高密連携で
専門領域のさらなる進化を

巡り合った恩師への感謝を忘れず
小児から大人まで真心の医療貢献を

 

 理学部か医学部か、 進路で悩んだ高校3年生の吉田少年は迷った末に医学部を選び九州大学に入学。 医局は重松信昭教授の九州大学医学部附属胸部疾患研究施設 (呼吸器科) 。2年目の研修で勤務した九州厚生年金病院でしっかり医療の基本を叩き込まれ、 九州大学医学部大学院では伊東祐之教授、 伊藤
講師の指導を受け、 留学先のカナダのマクマスター大学呼吸器研究部門のポール ・ オバーン教授には公私ともに世話になり幸福だったと笑顔の吉田院長。そして福岡病院院長就任から6年目。専門領域のさらなる充実と進化の必要性を語る吉田院長の眼光は鋭かった。

全スタッフのパワーを結集して専門領域のさらなる進化をと語る吉田院長

気象予報士に憧れて福岡管区気象台見学、左利き矯正のための書道

 父が勤務していた九大の胸部疾患研究施設があった生の松原、 国道202号線を挟んだ向かい側の家で生まれました。 3歳の時に、 父が米国フィラデルフィアのアルバート ・ アインシュタイン ・ メディカルセンターに留学。 母と姉と共に2年間滞在し、 その後帰国。
 小学生の頃は、 今でいう気象予報士になりたくて、 夏休み、 父に福岡管区気象台に連れて行ってもらったことがあります。職員の皆さんの歓待を受け、 観測装置を見せてもらったり、 帰りには天気図用の白地図の束をドッサリ頂いたりしたことを覚えています (笑) 。
 また左利き矯正のための書道をしていましたが、 中学進学前に初段を目前にしながら辞めてしまい、 結局左利きも治りませんでした (笑) 。

福岡教育大学附属福岡中学校でフルートに出会う。修猷館高校吹奏楽部で九州大会出場

 

 中学校は福岡教育大学附属福岡中学校。何か楽器がやりたくフルートを九州交響楽団の先生に習い始めました。 中学校は西公園、 フルートのレッスンでは姪浜までバスで通いました。 当時自宅が野芥にあったので、 大変でしたが愉しかったですね (笑)。

修猷館高校に進学し、 入学式の次の日には早速吹奏楽部に入部 (笑) 。 3年間ドップリと (笑) 。 体育祭名物 「応コン」 のパネルパフォーマンスに憧れていましたが、 結局3年間ピッコロで伴奏をさせられました(笑) 。 福岡は吹奏楽コンクールの激戦区で、 3校しか選ばれない九州大会代表校選考を勝ち取ったときは欣喜雀躍、 しかも私がフルートパートのトップで (笑) 。 大会本番はかなり緊張しましたが素晴らしい想い出ですね。

九州大学医学部入学。マンドリンオーケストラでフルート三昧 

 高校3年生の夏休みまで、 有機化学にも興味があり、 京都大学の理学部か九州大学の医学部かの二択で迷っていたのですが、父に”医学部は医師になる道と研究者になる道の両方があるが、 理学部は研究者だけというアドバイスもあり、 医学部受験を決めました。
 九州大学医学部に入学して、 オーケストラに入部したけれどフルート奏者が多すぎて退部。 高校の先輩の紹介でマンドリンオーケストラの定期演奏会にアルバイトのフルート奏者として2年間参助出演し、その後正式に入部 (笑) 。 4年間活動しました。 高校時代に中断していた個人レッスンも再開。 演奏技術が向上し、 レパートリ-も増えました。

九州大学附属病院呼吸器科入局
九州厚生年金病院で充実の研修ライフ

 医局は九州大学医学部附属病院胸部疾患研究施設 (呼吸器科) 。 1年目は大学病院で研修、 2年目は九州厚生年金病院 (現JCHO九州病院) に同期の松元幸一郎先生 (現福岡歯科大学呼吸器内科教授) と勤務しました。 研修医ながら内科当直も任され、 気管支鏡検査も年間300例以上。しっかり鍛えられました。
 3年目の新日本製鐵八幡製鉄所病院 ( 現八幡記念病院) でも、 病理解剖数の最多記録(13例) で表彰されるなど、 懸命に働きました。 北九州での2年間で基本を徹底的に叩き込まれましたね。 この時の経験が今でも私の医師としての確かな基礎になっています。

九州大学医学部大学院

大学卒後4年目の平成4年に大学院に進学し、学内の薬理学教室で基礎研究4年。伊東祐之教授から論文指導、 伊藤猛雄講師からは研究ノウハウを徹底的に御指導いただいたお陰で、 卒業前に学位を取得できました。 両先生には心から感謝です。
 卒業後は九大呼吸器科に戻り、 大学院での経験を活かして肺生理研究室で気管支喘息の研究に励みました。

カナダのマクマスター大学留学
公私ともに最高充実の2年間

 平成12年7月、 妻を伴ってカナダのオンタリオ州ハミルトン市のマクマスター大学呼吸器研究部門に博士研究員として留学しました。 喘息研究の世界的権威ポ-ル ・ オバーン教授のもと、 幸福な2年間を過ごしました。
 長期休暇中に国内各地を訪れただけでなく、 研究プロジェクトが終わったときに自分へのご褒美として臨時で休暇を取って、西海岸のバンクーバー島まで旅行したこともあります。日本から来客をナイアガラ瀑布に連れて行ったり、 トロントでオーケストラやミュージカルを鑑賞したり。 クリスマスには、 オバーン教授の邸宅に招かれて、贅沢なひとときを過ごしました。 和装の妻は記念撮影に引っ張りだこでした (笑) 。
 プライベートを満喫しながらも、 帰国前に論文を二つ完成させるなど、 公私共に充実した留学でしたね。

カナディアンロッキーにあるモレーンレイク。留学中の夏休みに1週間の国内旅行で撮った1枚です。背後の山は“Ten peaks”(10峰)と呼ばれ、カナダドル紙幣(当時)にも使われた景勝地です。
留 学 先 の 研 究 室 の ポ ー ル・オバ ーン 教 授 宅 の クリスマ ス パ ー ティ 。左 か ら 、私・アイリーン 教 授 夫 人・研究 補 助 員 の ジ ョ ー ジ・私 の 妻・オバ ーン 教 授 。妻が自分で着付けたことも関心を集めました。

研究から臨床へ

 平成14年に帰国して、 国立療養所南福岡病院 (現福岡病院) の内科医として2年在籍し、 九州大学医学部呼吸器科助手として2年勤務。 この時期に研究から臨床への転換を決めました。

 そして平成18年4月に福岡東医療センター呼吸器科医長として着任し、徹底的に臨床研鑽に励みましたね。

平成20年4月・福岡病院臨床検査科長。

平成25年6月・福岡病院総括診療部長歴任。

呼吸器・アレルギー・障害者医療
専門領域のクオリティアップ

 平成31年4月に福岡病院院長・アレルギーセンター長に就任しました。 これからは専門性を高めることに注力したいと考えています。 呼吸器 ・ アレルギー ・ 障害者医療、 それぞれのクオリティアップですね。
 例えば、 非癌の緩和ケアである呼吸器不全緩和ケアのプロジェクトを立ち上げました。 呼吸器診療では、 急性期から回復期 ・慢性期 ・ 終末期に至るまでシームレスに患者に寄り添う医療も心掛けています。 アレルギーに関してはセンター化による院内外の連携の充実を目指しています。 アレルギーは複数の疾患が併存することが多く、アレルギー科 ・ 呼吸器内科 ・ 心療内科 ・ 小児科 ・ 皮膚科 ・ 耳鼻咽喉科が協力して総合的に診療することが重要です。 小児科から内科への橋渡しとなる移行期医療も大切な要素です。 また、 医師 ・ 看護
師 ・ 薬剤師 ・ 栄養士 ・検査技師など多職種の連携も忘れてはいけません。
 障害者医療では、 障害者病棟3棟130床で受け入れている長期入所に加え、 小児一般病棟でも、福岡医療圏医療的ケア児支援事業の一環として、NICUを有する医療機関から患者を受け入れる中間施設の体制を構築し、 運用が始まったところです。

◆独立行政法人国立病院機構 福岡病院

住  所/福岡市南区屋形原4-39-1
T E L/092-565-5534(代)
院   長 /吉田 誠
診療内容/呼吸器内科、アレルギー科、循環器内科、心療内科、睡眠センター、小児科、外科、皮膚科、耳鼻咽喉科、歯科、放射線科
受付時間/月 ~ 金 曜 8:3 0 ~ 11:0 0

休 診 日 /土・日・祝日、年末年始(12月20日〜1月)
H  P / https://fukuoka.hosp.go.jp/

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