前略 宇野千代さま お元気ですか?
私たちは、あなたの言葉に
今も励まされています。
「幸福」のひと、宇野千代生家を訪ねて。
宇野千代といえば、『あなたの倖せは、ほんのすぐ、あなたの身近にあるのです』『私は、いつでも幸福な明日を夢見て暮らす。これが私の生きて行く甲斐である』など『幸福』というキーワードを数多く残してきた女流作家だ。仕事や家庭で迷った時、自信を失いかけた時、宇野千代の本を開くという方も多いのではないだろうか。
先日、広島県は岩国市にある生家を訪れた。今ではめずらしい木の電信柱の角を曲がると、明治期の建物という木造平屋建ての宇野千代生家がある。何でも昭和49年には、千代自らが建物を修復。「この血を、この体を、この魂をつくってくれた故郷こそ私自身のすべて」 という言葉があらわすように、同僚との恋愛を理由に教職を追われ、18歳で岩国を飛び出した千代の胸中には、多感な幼少期を過ごした岩国への郷愁があったに違いない。1996年、千代が亡くなった後も、地元の有志らによって結成されたNPO法人が管理を引き受け、一般公開される運びとなった。2007年には、国の登録有形文化財に指定され、今後はNPOと岩国市が手を組み、地元の文化遺産として受け継いでいくという。
約300坪にもおよぶ広い庭には、美しい苔や千代の好んだ楓や紅葉がのびやかに植えられ、訪れる旅人の目をたのしませる。苔と楓を植えたのには、理由がある。作家仲間の瀬戸内寂聴と京都の厭離庵を訪れた折、その庭に広がる美しい苔と楓にいたく感銘を受け、自身の庭にも採用したそうだ。また小説「薄墨の桜」のモデルになった岐阜県根尾村の樹齢1500余年の老樹「薄墨桜」が瀕死に陥っていると知り、全国に保護を呼びかけ、見事に復活させたというエピソードは、思い込んだら一直線の千代らしい測面である。生家の庭には、その当時に受け継がれた3本の薄墨桜が大きく成長し、春には艶やかな花を咲かせている。
昔ながらの畳敷きの平屋に入ると、庭が見える場所に千代が筆をとった文机が見える。ふと顔を上げると、そこには穏やかな風貌の野仏の石像があり、なんとも心が凪いでいく。目を落とせば、ひと文字ひと文字の升目を根気強くうめていった原稿用紙と、たっぷりした愛用の湯呑みがあり、まるで千代がまだ生きているような息遣いが感じられる。それもこの生家を守る人々が千代の思いを大切に受け継いでいるからだろう。掘りごたつのある時計の間、文机のある仏間、坪庭に面した狭いけれど千代が一番心落ち着くと話していた鏡台の間などは、幾つかの作品のワンシーンを彷彿させる文化遺産となっている。
錦秋の頃、錦帯橋と合わせて訪れたい、宇野千代文学のふるさとである。
宇野千代(うの・ちよ)
明治30年生まれ、現岩国市川西町出身の人気女流作家。1947〜1948年にかけて「中央公論」で連載した「おはん」は、岩国を舞台にした名作と名高い。長い作家生活の中では、野間文芸賞、女流文学賞、芸術院賞などの賞を受賞し、1990年には岩国市名誉市民となる。文化功労者として顕彰され、勲二等受勲。
享年98歳。
宇野千代生家
電 話 / 0827-43-1693
料 金 / 高校生以上300円、小中学生100円
営 業 / 10:00~16:00
休 み / 火曜日・盆・年末年始
交 通 / 山陽自動車道岩国ICから車で10分
JR岩徳線川西駅から徒歩5分
錦帯橋から徒歩20分
H P / http://www.unochiyoseika.jp/
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