On — 仕事のこと

人生という厳しい山岳を、
共にふたり頂き目指して。
精神科有床診療所の25年
婦唱夫随―絶妙のパートナーシップ
看護師資格を持つカウンセラーであり、医院経営の敏腕ゼネラルマネージャーである荒木美恵子夫人のおかげで診療に専念できると荒木冨士夫院長は感謝の言葉。さらに続けて有床診療所のメリットは、外来では見えなかった患者さんの生活の様子や対人関係などが目の前で見られ、週に数回の面接で、正確な診断や治療時間の短縮につながるなど、患者さんファーストが実現できることだと熱く語った。

文字通り「夫婦善哉」のおふたり
金沢大学医学部に入学する
荒木院長 母方の私の祖父は医者でしたが、父は教員から戦後は出版社に勤めるサラリーマン。その生活、サラリーマンそのものが大変だという思いから、郷里が大阪だったので、専門技術を習得すべく、仏像仏閣の修理など伝統文化を担う京都繊維工芸大学と金沢大学医学部を受験しました。先に金沢大学医学部に合格したので京都芸工大を諦め、医学生生活が始まりました。その6年間、ヨット部で練習と試合の日々に明け暮れ、それでも個人的に趣味のカメラと登山はしてました。立山山麓、剣岳など懐かしいですね。
大学紛争の中、九大精神科で研修する
荒木院長 当時、金沢大学医学部には、精神科、心療内科をキチンと指導してくれる教授がいませんでしたから、卒業後、九州大学精神科の医局に勤務します。9年間在籍しますが、それまでのインターン制度がこわれ、九大独自の2年間の研修制度、これは希望する分野が選べたので、私は一年目は第一、第二、第三と内科を研修し、二年目になり、精神科から心療内科、神経内科と研修する予定が、70年安保大学紛争が始まり、ゲバ棒の嵐、キャンバスに米軍のジェット機が墜落するなどで学内が混乱し、以後8年間精神科にとどまることになります。
九州厚生年金病院を辞職し、念願の開業へ
荒木院長 九大医局から黒崎の九州厚生年金病院(今は九州病院)に14年間勤務しました。当初、精神科の医師は私ひとり、それでも4人に増員し、専門病棟の必要性を説きましたが、諸般の事情で実現できませんでした。ならばと、平成4年に辞職し、精神科の有床診療所を開業することになりました。
気軽に来院できる専門医院を開業する
荒木院長 精神科というと鉄格子など閉塞イメージがありますが、うつ病やパニック障害、仕事に疲れた人などが、気軽に来れる専門医院がその当時無かったことと、高速道路を利用して、福岡、北九州、山口などからもアクセスが良好だということで、当地に開業しました。平成4年5月1日に、有床診療所としてオープン。今年で25年目になりますが、大切にしていることは、患者さんが心の底からリラックスしていただくこと。そのため19床はすべてホテル風の個室です。患者さんはひとりでゆっくり休めますが、孤独感に襲われないよう、食事はレストラン食。自然いっぱいの環境の中、一緒に畑仕事をしたり、近くの山に登ったり、まるで合宿所みたいですね。登山は毎月ですので、現在まで250回位は愉しんでいますね。私自身、雨さえ降らなければ、毎週日曜日の午前中は必ず付近の山を登ります。それが仕事への体力トレーニングにも息抜きにもなります。
荒木GM ゼネラルマネージャーとして心懸けていること。それは接客、おもてなしの心です。それ以外何もないと思います。ですから、私共では患者さんをお客様とお呼びします。来院された時には、お客さまがいらっしゃいましたと、挨拶や会釈を大事にし、お話しする時もお客さまとして接します。そして感謝の気持ちを形にして、院内に花を絶やさないように、スタッフが胡蝶蘭など新たな花を求めて久山の花市場に通っています。庭には退院された方の記念樹がいっぱいです。

有床診療が理想と荒木院長

いつも温かい笑顔の荒木GM
Off — 休日のこと

それぞれ多種多様の趣味を満喫
毎月の3連休はふたりで温泉めぐり
荒木院長は北アルプスの幾多の名峰を登頂し、奥さまの荒木GMはひとり旅やフラメンコなど、それぞれが本格的に趣味を愉しんでいる。そんな心の余裕が、お互いのポジションを理解し、尊重することにつながって、お二人の姿を輝かせているのかもしれない。
金沢時代は写真とヨットに明けくれる
荒木院長 父はギャンブル好きで、少年の私をオートレース場や競馬場へ連れて行き、父の行方が分からない時はパチンコ屋に行けば大抵見つかりましたね。小学生の頃は学科の中では図画工作が好きで、ゴム動力のプロペラ飛行機を作り、学内競技会もあって盛んに飛ばしてました。高学年から中学生になると、絵を描いて学外のコンクールで賞を取ったりしてました。もっぱら風景画で、高校では油彩を習いました。金沢大学時代には、友人が演劇や合唱をやっていたので、人数合わせに舞台の大道具の手伝いや自信もないのにコーラスに参加したりしてました。特筆すべきは、医学部に私が写真部を創設したことです。学生で金が無いので何とかして中古のアサヒペンタックスを手に入れ、近くの兼六園を随分撮りました。自分は写っていませんが、所属していたヨット関連の写真はいっぱい。まだモノクロの時代でしたので、自分たちで現像して、学食の空いてる壁などを借りて発表してました。現在はキャノン、一眼レフで重いので登山にはミラーレスのソニーを持って行きます。

荒木GM撮影のベストショット
自慢のカティサークの模型と北アルプス
荒木院長 この常設の模型のカティサークは3年かけて、ピンセットを使いながら、ロープの部分は妻にも手伝ってもらって、コツコツと作り上げました。本物はロンドンのグリニッジにあります。海外旅行は九大の医局時代に妻とハワイに行ったのが唯一。いまは、昨年の9月から毎月金土日曜日の3連休をとり、妻の慰労を兼ねて、大分や熊本の山あいの温泉に行ってます。そう言えば、昨年10月に行った長野の浅間山の西側にある高峯温泉は良かった。標高2千米にある宿には、野生動物の餌場があり、貂や狸に驚いたり、満天の星を眺めたり、何よりその宿のオモテナシの心遣いに感動して、私は2回、妻は5回再訪してます。最初に訪れた時には、浅間山の反対側にある千八百米の湯の丸岳を、長野の友達と一緒に登りました。北アルプスは殆ど登り、昨年は黒部湖を見下ろす針ノ木岳と蓮華岳、今年は未登の雲の平に挑戦と、根っから山が好きなんですね。

鹿島槍ヶ岳山頂にて

院長自慢のカティサーク模型
なくてはならないフラメンコ
荒木GM 茶道は表千家、華道は池坊と40年、フラメンコ歴は30年。小さいころから憧れていて、遅まきながら育児から手が離れたタイミングで習い始めました。仕事の性質上、どうしても気持ちに大きな負荷がかかります。身体も疲れていますが、フラメンコの音と踊り、ステップに身を任せ、さらに肉体を酷使することで、不思議にも気持ちがすきっとプラスに。私にとってなくてはならないものです。

茶道華道はお気に入りの和服で

颯爽とフラメンコダンス
愛鳥と愛犬とのお喋りで心ほんのり
荒木GM 帰宅すると「おかえり」と言ってくれる長生きのヨームのキャプテンとコバタンのシロちゃんがいて、お喋りがとても愉しいし、施設で処分される前の捨て犬を引き取って、いまは10歳のユキちゃんを飼っています。はじめは人間不信でなかなか慣れませんでしたが、家族の一員で大切な存在です。

おしゃべりヨームのキャプテン

コバタンのシロちゃん
※荒木GMはキャプテンとシロちゃんと会話が成立するそうです
ひとり旅のために英会話レッスン
荒木GM 海外旅行はひとりで行きます。イタリアでは農家が経営しているレントスペースに泊まり、ワインやイベリコ豚など本場の味を楽しみました。農家の規模が、専用のプールがあるなど広大で、家族やスタッフも多く、日本の農家のイメージとは違います。20年前、世界で一番美しい散歩道と呼ばれるニュージーランドのミルフォードトレックも体験しました。そしていま、話せないと世界どこへ行っても面白さ半減だし、友達になれても永続きしないのはそのせいだと、ジェイソン先生にマンツーマンで英会話のレッスン中です。英検にもチャレンジしたいですね。

サラ・ブライトンとの記念写真(東京公演)


