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OffTime9月号 インタビュー せんばクリニック 院長 仙波 垂水

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それぞれ奉仕する心を糧にして
地域の人々へ確かな医療を

54歳で背水の開業決断
在宅医療に大きな情熱を注ぐ

 医師の家系で必然的に医師の道へ。福岡大学医学部入学後、黒岩中教授、岡崎正敏教授に指導を受け、第一外科入局し、志村秀彦教授の下で研鑽を積み、特に池田靖洋助教授には結婚の仲人など世話になり、感謝の2文字では足りないという。最終勤務地の木村病院で出会った在宅医療は、これからの医師人生にとって確かな使命であり、進むべき明白な道なのだと語った。

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在宅医療は使命だと穏やかだが力強く語る仙波院長。

小学生の頃から電子工学に興味を持つ曾祖父、祖父、父も医師で必然医学部へ

物心ついてからは大分市で育ったのですが、生まれたのは岡山市で、よくは覚えていませんが幼稚園児の頃は広島にいました。大分に移って、南大分小学校、南大分中学校、私はやりませんがラグビーの名門県立大分舞鶴高校に進学しました。小学生の頃から機械類が好きで、特に言わば電子工学・電子回路に興味があり、母に言わせると大分トキワデパートに連れて行き見失うと、決まって当時まだはしりだったパソコンコーナーにしがみついていたので探しやすかったようです(笑)。
また正式な放課後クラブではなかったのですが、授業の流れで中学生の頃は生物クラブ、高校生の頃は化学クラブと自己の興味を充足させていました。そうこうする内、いざ大学受験を考えた時、曾祖父、祖父も医者、外科医の父も大分市に開業しているという家系がプレッシャーというか必然的に医学部へと私­==の背中がドンと押されることになるわけです。

福岡大学医学部入学卒業して第一外科入局。池田靖洋先生(当時助教授y)に公私共に世話になる

福岡大学医学部に入学し、前半3年間は微生物学の黒岩忠助教授、後半3年は放射線科の岡崎正敏教授、現在お二方とも退官されていると思われますが、当時はグループでご指導いただきお世話になりました。無事卒業して福岡大学第一外科に入局し、志村秀彦教授そして池田靖洋助教授の下で研鑽を積みました。特に池田先生には医局の中でスムーズに作業が終わらない私たちに寄り添うように遅くまで勤務され、大きな手術の際には厳しい指導をいただき、本当にお世話になりました。手術を終えた後は慈愛に満ちた労いの言葉をかけて下さり、忙中の飲み会は嬉しい限りでしたね。
 私が研修医、妻が薬学部の大学院生だった頃、カンファレンスで時々一緒になったことがキッカケで、平成4年池田先生が仲人をしてくださり結婚しました。当時の第一外科は先輩後輩の関係は体育会系で、愛情と友情にあふれたその関係は現在でも続いていて幸わせです。

研修医として白十字病院に勤務、現在も連携関係にある

福岡大学第一外科に籍を置きながら、市中病院を研修医として勤務し経験を重ねて行きますが、特に白十字病院は前院長も渕野泰秀現院長も福岡大学第一外科の先輩で、勤務時もそうでしたが現在も連携関係にありお世話になっています。この時期、福岡大学医学部第一生化学教室在籍中1998年に医学博士号取得しました。

令和元年「せんばクリニック」開業、しっかり患者さんに寄り添った在宅医療を

令和元年11月1日、せんばクリニックを開業しました。元来開業するつもりはサラサラなかったのですが、50歳過ぎて木村病院に勤務していた時期に在宅医療に出会い、高齢化に比例するように悪性疾患など通院が厳しくなる患者さんが増える現状、自宅で最期の時を迎えたい、家族と少しでも長く一緒に暮らしたいという終末期医療の現実を認識し、患者さんひとりひとりと密接に関わり、じっくりと診療したいと思っています。そうした強い思いから、54歳で開業することを決心しました。幸いなことに薬剤師でありケアマネージャーの資格を取得している妻が常にサポートしてくれ、大きな戦力であると同時に、心強いパートナーとして有難い限りです。

◆せんばクリニック

住  所/ 福岡市西区拾六町団地1-25
T E L/092-892-8877
院 長/仙波 垂水
診療内容/内科・外科・在宅医療
診療時間/月〜水・金 9:00~12:30/14:00~18:00
     木・土 9:00~13:00
休 診 日/日曜・祝日

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