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OffTime9月号 インタビュー 労働者健康安全機構 九州労災病院 病院長 三浦 裕正

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真心あふれるスタッフによる
患者様に寄り添った高質医療を

永い医師人生の集大成として
患者様に先進医療の提供を

  九州大学医学部生として飄々と6年間を過ごした三浦青年は、整形外科の医局で西尾篤人教授、先輩の緒方公介先生、帰国後の九州大学で杉岡洋一教授、岩本幸英教授とそうそうたる恩師に恵まれ、いまでも深謝しているという。それだけに、九州労災病院長としての責任は重く、地域住民と勤労者のため、さらに良質で安全な先進医療の提供に尽力すると真剣に語った。

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北九州市民のために良質で安全な医療をと真剣に語る三浦院長

紙製望遠鏡で天文学者を夢見た小学生、夏休みは上五島の小値賀で海遊び

  長崎県佐世保市に昭和31年4月29日、昭和天皇の誕生日と同じ月日に生まれ、父は畏れ多くも昭和天皇の御名“裕仁”から裕の一字を頂き、父の名前の“守正”から正で私に“裕正”という名前を付けました。その頃は自宅でも町内でも国旗が掲揚され、幼い頃は自分の誕生日を祝ってくれているのだと思っていました(笑)。
 小学校は佐世保市立八幡小学校、中学校は佐世保市立清水中学校に通いました。小学生の頃は天文学者を夢見て紙製の望遠鏡で月を見たり、岩石や鉱物を蒐集したり、町内のソフトボール大会に参加したりしていました。
 中学生になると、春はサッカー部、秋はバレーボール部を掛け持ちと忙しい(笑)。夏休みは父母の故郷である上五島の小値賀の海で思い切り素潜りや遠泳で愉しみましたね。

高校生時代は工学部建築科志望、父君の死で医学部受験を決める

 
 高校は私の時代に北高、南高、西高の合同選抜制があり、自宅に近いのが北高でしたが、バス通学をしなければならない佐世保西高校に選抜され、教頭先生から頼まれた入学生挨拶も、当初の選抜の不満にみちた内容を父のアドバイスで差し障りのないスピーチに変更(笑)。最初は不満でしたが、結果的にはとても良い高校でした。
 元来理系志向で、ぼんやりと工学部の建築科が頭にありましたが、高校2年生の時に父が肝硬変で亡くなったことが契機で、医師になろうと急遽方針変更し、医学部受験を決めました。

愛好会でいろんなスポーツを愉しむ

 
 九州大学医学部に進み、高校時代はバスケ部でしたが、ひとつのクラブに執着せずに、愛好会として卓球をしたり野球をしたりバスケットボールをしたりといろんなスポーツを気の向くまま楽しんでいましたね(笑)。
 また雀荘に入り浸りながらも、難しい試験の時には友達からノートを借りてクリアし、貸してくれた友達はクリアできずと(笑)、要領の良い飄々と過ごした6年間でした。

恩師西尾篤人教授に惹かれて整形外科に入局

 
西尾篤人教授のポリクリ総括の土曜日には、いつもウィスキーの飲み会があり残ったウィスキーは持って帰れとアットホームな雰囲気が嬉しかった。
 卒業前からいろんな診療科から声をかけられるのですが、選択肢は整形外科、第二外科、脳神経外科の三つで、最後までギリギリ悩みました。手術の面白さ、教室の明るい雰囲気の心地良さから、西尾先生の整形外科に入局しました。

緒方公介先生に背中を押され、米国セントルイスに留学

 
 入局後、膝の研究で師事していた緒方公介先生(元福大医学部教授)は、九大卒業後すぐ米国ワシントン大学に入られ、そこでDr.ホワイト・サイドと出会われ、同じレジデントとして共に沢山の論文を書くなどとても仲が良く、その関係性から私に“行ってみるか”と背中を押され、迷うことなく1987年、入局から5年目に米国セントルイスのデポールバイオニクス研究所のDr.ホワイト・サイドの研究室に留学しました。

Dr.ホワイト・サイド研究室で膝のバイオニクス研究に没頭

 
 人工関節の研究で有名なDr.ホワイト・サイドの研究室は地下の狭い部屋で、初期のマッキントッシュと人体の股関節や膝などのカダバーが大量に置いてあったり。そこで膝のバイオニクスの研究を他のスタッフが帰っても、日本人特有の勤勉さからか夜8時頃まで連日励んでいましたね(笑)。その成果をまとめた初めての英語論文は著名な雑誌に掲載されたり、米国整形外科学会で口頭発表しましたね。
 また折角の機会だからと、米国人スタッフから羨まれるほど、車でシカゴ、ニューヨーク、サンフランシスコ、ヨセミテではキャンプするなど米国中を巡りました。公私共に濃密な1年間でした。他方、Dr.ホワイト・サイドの研究室が受け入れた最初の日本人として頑張らなければ後は続かないといったプレッシャーもありました。
 幸いにもその後、九大はじめ他の大学からも総勢20名ほど行っています。安堵ですね(笑)。現在コロナ禍で困難ですが、Dr.ホワイト・サイドが来日された際の歓迎会とか。何度か門下生の友好の宴は続いています。

九大で22年間杉岡洋一教授、岩本幸英教授に師事し、充実した研究研鑽の日々

 
 平成元年に九大に戻り、助手から始まって22年間、講師から准教授として在籍しました。師事した教授は杉岡洋一先生、岩本幸英先生。お二人とも強烈な畏怖の対象でした。長い教員生活で経済的には厳しい反面、海外の学会に行ったり、自由に専門の“膝関節と手の外科”の研究に打ち込めるなど充実していました。

愛媛大学医学部教授着任から12年間、附属病院長、副学長と歴任する

 
 2010年愛媛大学医学部整形外科教授に着任し、2年目で附属病院副病院長、5年目で同病院長、その後副学長となり12年間お世話になりました。生え抜きではない身ながら、早い時期から病院経営に携わり、自由な院風の中、敷地内薬局の導入による患者様用駐車場、スタッフロッカールーム、会議室、リハビリ施設など院内インフラの充実を実現したり、今治市の救急医療支援を含めて持続可能な病院経営の道筋を示したと思っています。

2022年九州労災病院院長就任、北九州に持続可能な先進医療を

 
 愛媛大学を定年退職し、2022年4月に岩本幸英先生の後任として九州労災病院院長に就任しました。設立以来の“地域住民と勤労者の皆様に、良質で安全な医療を提供する”という理念を掲げ、ヘリポートや最新の設備を整え、地域医療病院、地域がん診療連携拠点病院の指定により幅広い疾患に専門的に対応して行く所存です。新型コロナ感染症に対しても専用病床を増やすなど機動的に対応しています。
 また、治療就労両立支援の窓口設置など、さらに外部コンサルタントを活用し、あらゆる科学的データに基づいた近代経営の必要性を感じています。北九州の先進医療のためにやらねばならないことは沢山あります。院長としてさらに努力の日々ですね。

◆労働者健康安全機構 九州労災病院

住  所/北九州市小倉南区曽根北町1番1号
T E L/093-471-1121
院   長 / 三浦 裕正
診療内容/内科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、精神科、脳神経内科、小児科、外科、消化器外科、
     整形外科、脳神経外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、
    リハビリテーション科、放射線診断科、放射線治療科、病理診断科、救急科、麻酔科、歯科口腔外科
受付時間/8:15~11:00
休 診 日 /土・日曜日・祝日、年末年始(12月29日~1月3日)
H  P / https://www.kyushuh.johas.go.jp

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